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2013/12/13掲載
成田街道を成田まで歩く
郷土史散歩シリーズ
成田街道を成田まで歩く
第4回 京成佐倉駅から京成酒々井駅まで 前編
チイね!
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主催/勝田台自治会

八千代市勝田台自治会(約2千世帯)主催の「郷土史講座」は、八千代市郷土歴史研究会名誉顧問の村田一男さんを講師に8年続く人気講座。「成田街道を成田まで歩く」は、昨年度八千代から佐倉まで歩き、今年度は佐倉から成田まで3回に分けて完歩する。
通常
■城下町の華麗な祭をほうふつさせる神明神社
京成佐倉駅に集合。南口の四辻に出て左手の坂を上っていく。県立佐倉高校前を通り過ぎてしばらく、左手の保育園先を折れ、参道を下り城下町本町の氏神様、神明神社へ。創立は13世紀後半。市指定の保存樹林が空を覆う。立派な御輿蔵に古い御輿と山車、麻賀多神社の秋の祭礼に繰り出す。祭提灯に彩られた、城下町らしい祭の夕べの華麗さを思い出した。
鳥居を左に出て旧成田街道へ。落ち着いた家並を10分ほど。昌柏寺(日蓮宗)福聚門へ。寺号は4代将軍家綱の養母を務めた第7代佐倉城主松平乗久の夫人昌柏院殿に由来、ここにその墓がある。
さらに進むと、まもなく成田道の旧道分岐点に2体の石造地蔵尊が立つ。左前方旧道を上りつめた三差路から先は酒々井町の本佐倉地域。本佐倉城の城下町だった。
神明神社
通常
■国指定史跡の本佐倉城跡は千葉氏本家9代の夢の跡
信号を渡ると妙胤寺(日蓮宗)。13世紀末開山、のち本佐倉城主千葉勝胤が帰依し、千葉氏の祈願所となる。1724(享保9)年、90余人が寄進した題目塔が目を引く。参道右に『天保水滸伝』の剣客平手造酒ゆかりの松、キリーク(阿弥陀如来)を刻んだ下総式の板碑も。「裏手の谷の向こう側一帯は約500年前の戦国時代、約100年間続いた本佐倉城跡です」と村田講師。約35万平方㎡。空堀、土塁などがよく残る。
「猿楽」「本佐倉」「山道」とバス停を過ぎ、清光寺(浄土宗)大堀館跡へ。16世紀半ばの開山でご本尊は銅造の阿弥陀如来。境内を特別拝観する。本堂屋根に三つ葉葵の紋が光るのは徳川家康の父松平広忠の歯骨墓があることに起因するようだ。
本佐倉城が秀吉によって陥落後、統治の中心となった大堀館はこの辺りとされるが、「発掘調査で土塁や人骨が出ましたが、はっきりしていません」。
国道51号との交差点手前の十字路を北へ。この辺りは通称新宿。江戸時代、成田街道の酒々井宿としてにぎわう。宿の入り口には宿の繁栄を祈願したと考えられる大鷲神社。「成田街道を八幡、船橋、大和田、臼井と進み、酒々井宿は五番目の宿。ここからさらに上宿・仲宿・下宿と続きます」
数分で右手に八坂神社。この付近に酒々井宿の中心があったとされる。『成田名所図絵』では牛頭天王社と描かれ、明治時代に改名した。祭神は須佐之男命ほか。
千葉氏の祈願所妙胤寺入り口
成田道旧道分岐点に石造の地蔵尊
清光寺境内には見るべき石造いろいろ
古い家が残る街道筋
補足説明
※注1…題目塔「南無妙法蓮華経」と刻まれた鎮魂を目的とする供養塔
※注2…板碑主に供養塔として使われる石碑の一種
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