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2014/09/05掲載
成田街道を成田まで歩く
郷土史散歩シリーズ
成田街道を成田まで歩く
第5回 京成酒々井駅から京成公津の杜駅まで 後編
チイね!
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主催/勝田台自治会

八千代市勝田台自治会(約2千世帯)主催の「郷土史講座」は、八千代市郷土歴史研究会顧問の村田一男さんを講師に8年続く人気講座。「成田街道を成田まで歩く」は、昨年度八千代から佐倉まで歩き、今年度は佐倉から成田まで3回に分けて完歩する。
通常
■成田山護摩木山の供養碑をめぐる
ほどなく真間田の成田山護摩木山供養碑へ。左側の竹やぶの中にそびえ立つ。成田山の護摩焚き用の杉材を切り出す山を寄付したことを記念して建てられたもの。家紋入り台座に東京市本郷区駒込酒井八右衛門明治24年建立と刻まれる。江戸三大石匠の一人として昭和初期まで活躍した。
旧道をしばらく行く。国道51号に接する辺り、かつては松並木が続き、昭和43年県指定文化財に。だが、松が全て枯れてしまったため解除され、標識だけが残る。「街道から東側一帯の原野は、江戸時代幕府の牧でした」と村田講師。今ものどかな田園風景が広がる。間もなく左側、桜木数本の間に、伊篠成田山護摩木山供養碑・道標が数基立つ。「中で最も注目すべきは丸下講が建てた道標です」。正面には「東成田山宗吾社道」、裏面に「元禄元年起立丸下講…」と彫る。成田山が江戸出開帳後、江戸民衆の成田詣が盛んになり、続々「講」ができた。この「丸下講」はそれより以前、最古の碑。
さらに進む。国道51号の信号手前を横断、昼なお薄暗い旧道を下る途中、左側を塀に支えられて2基の石塔、一基は不動尊供養碑、もう一基は護摩木山供養碑だ。下りきって左へ、田園地帯を5分、伊篠の曹洞宗浄泉寺へ。
真間田の護摩木山供養碑
通常
■千葉氏ゆかりの古刹、浄泉寺で文化財多数を拝観
本堂でご住職から寺の来歴、法話を伺う。宝物類のご案内も。開基は千葉氏の有力な一族、粟飯原胤光。千葉氏の猪鼻城(千葉市)時代、すでにここ伊篠に城をもち、千葉氏数々の合戦に参加したと『鎌倉大草紙』にある。
ご本尊は十一面観音菩薩坐像(室町時代)。浄泉寺文書2通と共に酒々井町指定有形文化財。応永22(1415)年の銘のある鋳銅雲板(千葉県指定文化財)、入口左側の観音堂には木造正観音立像(酒々井町指定有形文化財)など。
来た道を戻り、51号に出る手前左、田舎道を行く。小川のほとりに延命地蔵尊。文政年間、女人講中による建立。造像年号がある延命地蔵は町内で17基という。
成田街道(国道51号)に出て、往来の激しい道を行く。左手に成田市と酒々井町にまたがる旧家(元お茶屋)。特別に内庭を通らせてもらい、裏山の篠山新田護摩木山供養碑を見学する。東京の成田山新栄講が明治時代に建立。東日本大震災で傾き、その後の余震で約2mの石碑本体は、二つに割れて横たわることとなり、痛ましい。
街道に戻り信号を渡る。間もなく街道を離れ、左の道へ。すぐ左に飯仲の宗吾霊堂への道しるべを最後に公津の杜駅まで約15分。
今回はまさに道しるべ巡り。その由緒や時代背景などから成田山信仰の篤さ、広さをあらためて再認識する一日となった。
伊篠の護摩木山供養碑・道しるべ
ご本尊の十一面観世音菩薩坐像
本堂でご住職から寺の来歴などを聞く
小川辺に立つ延命地蔵尊
補足説明
※女人講中 参拝する女性の集まり。近年まで、信仰と同時に女性の楽しみや親睦の場であった
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