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ルー大柴|インタビュー|チイコミ

ルー大柴 タイトル

カタカナ英語を交えた独特の「ルー語」を操り、
圧倒的な存在感を放つルー大柴さん。
そんな唯一無二の存在を作り上げたものとは?

ルー大柴 Profile
1954年東京都生まれ。高校卒業後、露天販売しながら、欧米を放浪。74年の帰国後、俳優を志し、故三橋達也氏の付き人を経て、勝アカデミー第1期生に。現在はタレントや俳優業の他、講演など幅広い分野で活躍中。日めくりカレンダー『きょうのルー語』(PHP研究所)が好評発売中。

丸 ルー語の原点となった10代のエクスペリエンス
 マイファーザーは、日本語の他に英語や中国語も話せる異国情緒あふれる人でした。家族に何かいいことがあるとハグしてくれたり愛情表現も豊かで、いわゆる日本的ではない家庭環境でした。
 実家は印刷屋で姉二人に男は僕一人。物心ついたときから自分は跡継ぎなんだという意識はありました。でも僕は表現者になるというドリームがあったんです。中学生の時に見た映画「サウンド・オブ・ミュージック」を見て以来、「自分も早く舞台に立って、多くの人を楽しませたい」とそれ以外考えられなかった。そんな僕を見て、マイマザーは高校くらい出てもらわないと困ると思ったのでしょう。映画評論家の淀川長治さんに相談の手紙を書いたんです。そうしたら返事が。手紙には、「気持ちはよく分かる。でもこれからの時代は役者でも高校・大学は出ておいた方がいい」と書いてあって。僕にとっては衝撃でしたよ。これがきっかけで高校に進学。実際、高校でのエクスペリエンス(経験)は一生の宝物になりました。そこで出会った帰国子女のガールフレンドの日本語と英語がトゥギャザーした話し方がうつって「ルー語」になっちゃったんだから。



ルー大柴 夢にがむしゃらだった時代はまさに「ストロー(藁)をもつかむ思い」でした

丸 無我inドリーム(夢中)で駆け抜けた若手時代
 高校卒業後は、露天商をしながら海外放浪の旅に出ました。夢をかなえるには人と同じことをやってもダメだと思ったから。家業を継ぐことへの不安があったのも事実ですけどね。
 海外では失敗もあったけど、恥をかいてもぶつかっていった。デスクトップ(机上)の空論なんて言いますが、自分で味わい尽くしてみるっていうのは何事にも代えがたいエクスペリエンスになる。「恥かけ、汗かけ、涙しろ」。ここで得た学びは今でも僕のフィロソフィー(哲学)です。


ルー大柴 「老いてはチャイルド(子)に従え」とはよく言ったもの。若い人の意見に乗っかってみるって面白いですよ


丸夢を手放した後にやってきたチャンス
 帰国後、なかなか芽が出なくて、結婚して30過ぎて長男がボーン(誕生)しても、生活費もままならない。そんなある日、女房の苦労を知ってか知らずか、マザーから「男ならまずは家族を養うのが仕事でしょう」って。そこで目が覚めましたね。夢を諦めて、家族を支えるためにティッシュ配りから宴会の司会まで…なりふり構わず働きました。
 そんな中、不思議なものでこれまでやりたくて仕方がなかった芸能界から仕事のオファーが来たんです。何度も断ったけど「1回だけ」と頼まれて舞台に上がったら、「面白い」って言ってもらえて。これがラストチャンス。何でもする覚悟で海パン一丁にもなった。それをきっかけにブレークし、仕事も増えました。とはいっても、この世界、仕事は水物。
 その後、伸び悩んでいた時に出会ったのが、今の事務所の社長で当時のマネージャー・増田。僕よりも一回り年下なんだけど、初対面の時から「このままでいいんですか?」なんて言ってくるやつで。初めはカチンときたけど、僕のことをよく考えてくれている。彼のアドバイスを一生懸命やると決めました。ブログを勧めてくれたのも彼。初めは普通に日本語で書いていたけど、途中から「ルー語」で書くようになったら女子高生を中心に面白いって話題に。新しい世界が広がったんです。
 人は何歳になっても変わっていいし、自分の可能性を見いだせると思います。自分がそう信じている限り! ライフイズワンス、トゥギャザー、悔いなく生きましょう。


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