子どもの頃、家の近くの神社境内に、石や岩を積み上げた小さな丘がありました。
そこでよく遊んだものです。
神聖な場所と知ったのは、大人になってからのこと。
そんな「富士塚」は県内各所で見ることができます。
▲写し霊場として新四国八十八ケ所巡りができる富士塚(野田市 報恩寺)
公開 2021/03/11(最終更新 2021/03/15)

信仰の対象となっていた富士山
日本人にとって富士山は特別な存在なのでしょう。
富士山が見えたのか、「富士見町」の町名が関東には残ります。
富士山を神々しい存在としてあがめ、信仰の対象にしていたのが富士浅間信仰だといいます。
まつられているのは木花咲耶姫(このはなさくやひめ)。
当然、富士山に登ることが修行になりますが、江戸時代のこと、実際に巡礼の旅をするのには多くの日数と高額の費用がかかります。
代表者が参拝し皆で御利益を分け合う「富士講」ができました。
▲野田市東宝珠花 日枝神社
信者たちは地元に富士山のミニチュアを作りました。
それが富士塚です。
富士山山頂に立つのと同じような体験ができ、御利益も得られると言い伝えられてきました。
県内にたくさん残る富士塚ですが、全てが富士講というわけではないようです。
▲市原市 姉埼神社
高さ1m以下のものから10m超えも
▲習志野市 丹生神社
▲習志野市 天津神社
富士塚は築山のようにただ土を盛り階段を付けたもの、石で階段を作り周りに大きな石や岩を置いたものなどさまざまです。
元々あった山や古墳に土や岩を盛り上げたものもあり、形は裾野を持つ富士山のようです。
富士山から運ばれたかと思われる溶岩らしき岩が使われている所もあります。
▲市原市 飯香岡八幡宮
市原市八幡の飯香岡八幡宮の境内にある富士塚を訪ねました。
岩が積まれた見上げるばかりの塚です。
浅間神社の鳥居をくぐり、登山コースのように正面の「一合目」から「九合目」へと石柱をたどって石段を上っていきます。
頂上には小さな鳥居とお社が立ち、手前にしめ縄と紙垂(しで)。
そこから富士山が見えていたのでしょう。
現在は高い建物やこんもりした木々に遮られてしまっています。
お参りをして下りようとすると、下山のためと思わせる別の石段が付いていました。
大澤、須走口の石柱でコースは分かれています。
「現在も八幡の富士講の人たちによって毎年旧暦6月1日(今年は7月10日)に山開きが行われています」と宮司の市川さん。
▲市原市五井 若宮八幡神社
江戸時代の村人の気分で富士山に登ったような思いがしました。
実際の富士山にもなかなか登れないコロナ禍。
ご近所の富士塚をお参りしてみてはいかが。(取材・執筆/江梨)