市川市の真間山弘法寺から続く参道、大門通り。
ここで年4回発行される手描きの大門通り会MAPをご存じですか?
描いているのは、市内で手描きの建築パース制作事務所を営む和田千彩美(ちさみ)さんです。

和田千彩美さん(撮影場所/Feria)
公開 2022/01/31(最終更新 2021/12/27)

編集部 R
「ちいき新聞」編集部所属の編集。人生の大部分は千葉県在住(時々関西)。おとなしく穏やかに見られがちだが、プロ野球シーズンは黄色、Bリーグ開催中は赤に身を包み、一年中何かしらと戦い続けている。
記事一覧へ市川在住20年余、本職は手描き建築パースクリエイター
建築パースとは、図面を基に建物などを立体的に描き起こしたもの。
住宅広告のチラシにイラストとして描かれたものを見たことのある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
小学生の頃から美術と理科が得意だった和田さん。
大学卒業後は食品メーカーに就職したものの、「何かを描く仕事がしたい!」という内なる思いに気付き、たまたま知った「建築パース」という仕事に魅せられてその道へ。
修業期間を経て平成元年に独立、2003年、市川に現在の事務所を構えました。
独立してからずっと一人で仕事をしてきた和田さん。
コロナ禍以降、世の中では急速にテレワーク化が進みましたが、和田さんは20年以上前からずっとテレワークでした。
以前はクライアントである設計事務所の方との打ち合わせや納品で外出する機会も多かったのですが、全てがオンラインで完結するようになると、ますます家から出ることは少なくなり…「地域とのつながりも特になく生活してきました」と話します。
転機となった大門通りの皆さんとの出会い

長年続いたそんな毎日に、突然変化が現れたのは2019年秋。
ハンドメイドが好きな和田さん、山葡萄のつるで作った自作のカゴを提げて出掛けたある日のこと。
たまたま入った真間駅近くの店のオーナーに「うちの店に作品を置いてみない?」と声を掛けられたのです。
その後、「このお店に置いてもらうといいよ」と紹介されたのが大門通りのブティック「麻廼や(あさのや)」でした。
ブティック「麻廼や」の高崎麻子さんは、現在月2回開催されている「大門通りまるしぇ」を中心となって立ち上げた人。
ちょうどその頃「大門通り会MAP」の描き手を探していた高崎さん、白羽の矢を立てたのが和田さんでした。
「和田さん、マップ描けない?」と誘われたたことで、新しい世界の扉が開きました。

本業の建築パースは、図面を基に、図法に従ってきっちりと線を引いていく仕事。
「実はマップ制作のような柔らかい仕事もしてみたかったんです」という和田さん、「商店街の方は、それまで仕事でお付き合いさせていただいてきた方々とは違う魅力を持っている」と感じました。
高崎さんや「夏秋武蔵屋酒舗」の茂木夏子さんなど、大門通りで精力的に活動している方々と関わるうちに「すごく楽しくなっちゃって。今までと全く違う世界に、仲間として受け入れてもらえた感じがすごくうれしい!」。
現在に至る激変の日々のスタートでした。

2021年9月には、大門通りに初のオープンスペース「ギャラリーf」が誕生。
和田千彩美さんのはがき絵展が、そのオープニングを飾ることになりました。

ギャラリーfについてはこちら
個展は近隣ばかりでなく他市からも訪ねてくる人で大盛況、展示販売されたはがき絵はあっという間に完売しました。
はがき絵で描く市川の街や自然、ふとした景色
朝は8時半ごろからコーヒーを飲みながら、はがき絵を描くのが和田さんのルーティン。
1枚さらっと描いてから仕事に入るそうです。
ギャラリーfで展示されていたはがき絵、相当前から描かれていたのかと思いきや、意外にも約1年前からだそうです。
「大きい絵は描いている途中で飽きてしまうんです」と笑う和田さん、はがき絵を始めた本当のきっかけは、お母様が認知症を発症しグループホームに入ったこと。
「絵だったら楽しんでもらえるかも」と、絵手紙感覚で描くことにしました。
最初は毎日ではなく不定期に、手紙として描いていました。
毎日描くきっかけとなったのは、秋に見つけた桜の葉。
散歩の途中、真間川沿いで拾った桜の木の落ち葉がとても美しかったのです。
虫食いの感じ、赤黄橙緑紫のグラデーション…素晴らしく魅力的で感銘を受け、それ以来、何回も桜の葉っぱを拾っては描いたのです。
やがてモチーフは桜の葉から真間川へ、さらに市川の風景へと広がっていきました。
こうして描き続けたはがき絵は、ギャラリーfでの展示の前には300枚位以上溜まっていたと言います。
「市川は、絵にしたくなる素敵な場所が多いですね」
そう語る和田さん。
もともと市川の落ち着いた感じ、それでいてにぎやかさもあり自然も残っている雰囲気が好きだったと言います。
「にぎわいと静けさが共存 住んだらもう引っ越せない」。
これは和田さんが以前携わった、仕事先の方が考えた市川のキャッチコピーだそうです。
「これが市川に対する自分の心情にピッタリなんです」と話す和田さん。
その笑顔は、20年住み続けた市川で、ようやく居心地の良い場所を見つけた充実感にあふれていました。
はがき絵のページ→@thousand_colors_bi