大日寺は真言宗豊山派に所属する寺院。
縁起書によると、仁生菩薩が天平宝字元(757)年に開山したとされ、大治元(1126)年、千葉常重が当寺院を菩提寺と定め、後世、千葉氏16代の墓碑が建立されたことを伝えています。

公開 2022/02/24(最終更新 2022/03/08)

ボノ
横浜から千葉に移り、ちいき新聞でライターを始めました。取材は歴史物・行政関係が多め。今は卓球を週に7回、ジムで泳いだり、ピアノ教室&弾き語りのライブをやったりと、とても充実した毎日を楽しく過ごしています!
記事一覧へ千葉氏が創建に関わる由緒正しき寺院
千葉市内には、千葉氏とゆかりのある寺院が多く現存しているが、大日寺もその中の一つだ。
千葉の歴史をめぐる近年の研究成果によれば、大日寺は鎌倉時代の中ごろに創建されたとする説が有力。
その創建に深く関与していたのが千葉氏にほかなりません。
千葉常重が現在の中央区亥鼻付近に本拠地を構えた後、都市としての千葉の礎が築かれました。千葉一族の中で最も著名な常胤は、この常重の息子であり、房総半島に逃れてきた源頼朝の挙兵に協力し、その後の鎌倉幕府の成立に大きく貢献した人物です。
大日寺は、このような鎌倉幕府成立の立役者として名高い千葉一族との関係が深く、その系譜に名を連ねる頼胤によって建長六(1254)年に馬橋(現在の松戸市)に創建され、その後、千葉へ移転したとされています。

境内に整然と並ぶ千葉氏16代の墓碑
大日寺の境内には、千葉氏との密接な関係をうかがうことのできる墓碑が整然と並んでいます。
その墓碑は、千葉氏16代の墓碑と伝えられており、千葉市の重要文化として保存。
「五輪塔」型式の墓碑は、最大のもので高さ2.5メートルに及びます。

近年の調査によれば、鎌倉期から南北朝時代の貴重な五輪塔の作例とされ、千葉県下では中世期最大級の遺品と考えられています。
馬橋から千葉の地へ移転後、およそ700年にわたって歴史を積み重ねましたが、太平洋戦争時の千葉空襲で境内がすべて焼失してしまい、戦後の土地区画整理によって現在地(轟町)に移転。
残念ながら、貴重な資料は戦災により消失してしまいましたが、16基の五輪塔や伽藍は壮観であり、参拝者を優しく迎えてくれます。

住所/千葉市稲毛区轟町2-1-27
電話番号/ 043-251-2417