市原市椎津、八坂神社裏手の台地にはっきりと残る椎津城跡。
市と千葉県の指定文化財になり、椎津七町会連合会と市が手を組み開始した整備活動が5年目を迎えます。

公開 2022/04/02(最終更新 2022/03/30)

着々と進む整備、姉崎高校の生徒も活躍
1971年から4回にわたり発掘調査が行われ、2015年には市の、17年には県の指定文化財となりました。
その頃はまだ、竹やぶがうっそうと生い茂る暗い場所で、「指定文化財と名ばかりではもったいない。多くの人に足を運んでもらいたい」と椎津七町会連合会と市が協定を結び、整備活動が始まりました。
3年がたった頃、メンバーが再編され、2020年11月に「史跡椎津城跡を守る会」が発足。
地元住民の他、歴史や城跡に興味を持つ市内の有志たち15人の集まりです。
月に1回、時にはメンバー以外の有志や姉崎高校の生徒も加わり、緩く和やかな雰囲気で活動しています。
次々と生えてくる竹を切り倒して破砕機にかけ、大量の竹チップにして遊歩道にまきます。
程よいクッションが足に優しく、雑草が生えるのも抑えてくれます。
とはいえ、夏場の草刈りは骨が折れますが、「きれいになっていくのを見ると気持ちがいい。高校生たちのパワーにも助けられています。大きくて重い朽ち木もどんどん運んでくれるからね」と、副会長の中島宗光さんはうれしそうに話します。
「椎津城跡」の木の標柱は、姉崎高校からの寄贈品です。

椎津城の名を地元に広げたい
椎津城が存在したこの地は、東京湾岸に面しており水陸交通の要衝であったことから、戦国時代に足利氏、武田氏、里見氏、北条氏が激しい争奪戦を繰り返したとされます。
中世の山城なので天守閣こそありませんでしたが、土塁や堀跡がはっきりと見てとれます。
さらに、発掘調査では埴輪が出土していることから、城以前に古墳があったと推定されています。
草刈りに励んでいた女性は、「活動していく中で歴史についても知っていけたら」と興味を示します。
SNSで情報を得るのか、都内から散策に訪れたという人もいるといいます。
「歴史上に名が残る場が近所にあることを地元の子どもたちや住民にもっと知ってもらいたい」と会長の田丸榮一さん。
昔から人々にとって重要な役割を果たしてきたこの地に、再び注目が集まっています。
問い合わせ
電話番号/ 0436-23-9853
市原市教育委員会ふるさと文化課