市川市は1984年に「核兵器廃絶平和都市宣言」をし、毎年平和事業を実施。

2012年からは、市内の公立小・中学校などの希望に応じて被爆体験講話も行ってきました。 

\講話動画はこちらから/
https://www.city.ichikawa.lg.jp/gen01/1111000097.html

公開 2022/08/31(最終更新 2022/08/30)

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東京生まれ。月の出ている日は必ず見つけて写真に撮りブログにアップする月大好き人間です。果物を食べながら、「この果物はどうやって生まれてきたのかな?」とすぐ考えるタイプ。ちなみにプロフィール写真は、以前記事作成のために撮影した栗の赤ちゃんです。

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戦争の実相を被爆者から学ぶ

市民の8割以上が戦争を知らない世代となった現在。

その世代に広く戦争体験を語り継ぐため、市川市では今年3月から被爆体験講話の動画「今を生きる皆さんへー被爆者から伝えたいこと」を市の公式Webサイトで配信し始めました。

出演協力した「市川被爆者の会」の井上副会長は当時中学生。

動員された長崎の軍需工場で作業中に被爆。

88片のガラスを背中に浴び、その傷は今も山脈のように残っているといいます。

た「市川 被爆者の会」の井上勇副会長
井上勇副会長

児玉会長は広島の学校で7歳の時に被爆。

傷は軽症でしたが、その後の差別や出産への迷い、次女の病死が自分の被爆が原因ではないかと心を痛めるなど、苦悩は今も続いているそうです。

「市川被爆者の会」児玉三智子会長
「市川被爆者の会」児玉三智子会長

動画では講話を聞いた子どもたちの感想も紹介。

「初めて戦争の怖さを知った」「もっと知って、人にも伝えていきたい」という感想が多く、講話を聞く機会を広げる大切さを感じました。

まず「知る」ことから平和を考える

海外の学校や国際会議でも被爆体験を伝えてきた児玉会長は、「米国の高校で最初に話した時には、『原爆投下は正しかった』と言われた。でも、今は核兵器は不要と考える若者が米国でも多くなりつつある。今年1月には、ロシアも、米英仏中と共に核保有5大国として『核戦争に勝者はいない。核戦争は絶対始めてはならない』と共同声明を発表していたのに」と声を曇らせます。

原爆の実相を皆がまず「知る」こと。

それが、核戦争への最強の抑止力となるでしょう。

写真提供/市川市