恵まれた体格に走力・瞬発力を兼ね備えた期待の若手、ラシード ファラーズ選手(25)。
今年は日本代表候補にも選ばれ、チームでも中核選手へと飛躍が期待されるシーズンです。
そんなラシード選手に、今シーズンにかける思いやバスケを始めたきっかけ、今後の夢について聞きました。(取材日/2022年9月22日)


公開 2022/10/12(最終更新 2022/10/13)

編集部 R
「ちいき新聞」編集部所属の編集。人生の大部分は千葉県在住(時々関西)。おとなしく穏やかに見られがちだが、プロ野球シーズンは黄色、Bリーグ開催中は赤に身を包み、一年中何かしらと戦い続けている。
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新HC(ヘッドコーチ=監督)就任で生まれ変わるジェッツ
―先週は台風の中、広島遠征(ドラゴンフライズとの練習試合)お疲れさまでした。
大野篤史HCからジョン・パトリックHCに代わりましたが、「ここが一番変わった!」という点を教えてください。
昨年はオフェンス(攻撃)のチームというイメージだったと思いますが、今年は真逆。
完全にディフェンス重視です。
相手の点数をとにかく抑えて、それを1点でも上回ればOKという考え方です。
ディフェンスを一からやり直しているので、今シーズンは全く生まれ変わった千葉ジェッツになりますよ。
―ガラッと変わるんですね。
チームで相当ハードなディフェンスにトライされていると聞いていますが、やはり体力的にきついですか?
そうですね、ずっと相手にプレッシャーをかけ続けるので。
まだ慣れないところもありますが、新しいHCの考えにマッチするように、みんなで苦しみながらも頑張っている最中です。
―ジョン・パトリックHCはどんな方ですか?
ジョンさんはオフコートでもとても優しい方。
練習中も、大声で叱るというよりは、心に語り掛けるように日本語で諭す感じです。
―どんな言葉を掛けられていますか?
僕は身長が高いので、同じような大きな選手のディフェンスに付くことが多いのですが、それだけでなくガードからセンターまで、どのポジションの相手にもマッチアップ(※)してディフェンスできるように、と言われています。
瞬発力や運動能力を買ってもらっているので、その期待に応えたい。
やりがいを感じているし、とても楽しみでもあります。
※マッチアップ=互いにマークし合うこと

スポーツ大好き少年だった子ども時代
―すごく基本的な確認で恐縮です。
「ラシード」が姓で「ファラーズ」が名前ですよね。
そうです。
ユニホームに「ラシード」と入っているのに(※ユニホームには姓が入る)、そっちが名前だと思っている人が多いんですよね。
だから「ラッシー」って呼ばれていますけど、誰も僕のこと下の名前で呼んでくれないんですよ…ちょっぴり寂しいなー(笑)
―「ファラーズ」という名前にはどういう意味があるのですか?
何でもこなせて才能に満ちあふれている…「天才」というニュアンスに近いかな?
パキスタンでも結構珍しい、マニアックな名前です(笑)
―ご実家は埼玉県春日部市と聞いています。
お生まれもそちらですか?
はい。その後、パキスタンやアメリカにも行って、また日本に戻って来て、今の実家に住み始めたのは小学生低学年ぐらい。
粕壁小、大沼中出身です。
(ここで同席した編集長が同じ小学校と判明。しばし地元トークで盛り上がる)
―ご家族は? アスリート一家だったりするんですか?
いやいや全然。
アスリートは僕だけです。
父は自営業をやっている生粋のビジネスマンです。
僕は三兄弟の次男なんですが、周りからはよく「長男ぽいね」と言われるんですよね。
大人っぽく落ち着いて見えるみたいです。
―子ども時代はどんなふうに過ごしていましたか?
とにかくいろんなスポーツをやっていました。
サッカー、テニス、水泳、パキスタンではクリケットも。
常に走り回っていました。
いわゆるスポーツ大好き少年。
でも父は学校の成績にも厳しくて、学年で30番以内に入らないと叱られたりしたこともあったかな。
でも、それも「将来のために大事だから」と言われて、勉強も頑張っていました。

高校でバスケと出合った日、運命の人と巡り合う
―バスケを始めたのは高校(越谷西高校)からと聞いています。
きっかけは何だったのですか?
決め手は親友に誘われたことですが、バスケ部からすごく熱い勧誘を受けたんです。
僕を誘ってくれた友達は元々高校でバスケ部に入る予定だったのですが、顧問の先生が、高校の合格発表のときに僕の姿を見掛けたらしく、友達に「どんな手を使ってでもあいつをバスケ部に入れろ」と言ったそうで。
同じことを在学中の2、3年生部員にも言っていたみたいです。
入学式の日、僕はテニス部に入ろうと思っていたんですが、前にバスケ部の軍団が立ちふさがって(笑)「一緒にバスケやろうぜ!」と猛烈なオファーがあり…それで入りました。
―初めてやってみたバスケはいかがでしたか?
バスケシューズを持っていなかったので、体験入部の日は体育館履きに中学の時のテニスのユニホームを着て参加しました。
それこそドリブルもつけない、ルールも分からない…そんな状態でしたが、「ボールをゴールに入れる」ということがシンプルに楽しすぎて。
体験入部して帰宅後、NBA(アメリカの男子プロバスケリーグ)の存在を知り、その日の夜の放送を見てみたら…そこで出会ったんです。
コービー・ブライアント(※)に。
一目ぼれでした。
バスケを始めた日の夜にコービーに出会って、この人みたいになろうと思ったんです。
※ロサンゼルス・レイカーズで活躍したNBAを代表するスーパースター。2020年1月26日ヘリコプターの墜落事故で死去。ラシード選手の背番号24はコービー・ブライアントに由来する
―そこからはバスケ一直線というわけですね。
プロを意識したのはいつごろからですか?
東洋大学1年の時…ちょうどBリーグが開幕した年でした。
アルバルク東京が東洋大学の体育館を1日借りたことがあったんです。
見学自由だったので最初から最後まで見ていたら、アルバルクのコーチの方が「バスケ好きなの?」と話し掛けてくれて、「一緒にワークしようか」と誘ってくれたんです!
そこでワークに参加してみて…その時、「絶対にプロになりたい」と思いました。
―その時印象に残っている選手などいましたか?
ディアンテ・ギャレットという選手がいたんですが、ずば抜けていましたね。
すごかったです。
―プロへの思いが強くなり、2019年に千葉ジェッツに練習生として入団します。
どういういきさつだったのですか?
ジェッツ側からオファーをいただき、大野HCと池内GMと面談しました。
「身長が高いだけでなく、瞬発力や走力など運動能力のポテンシャルが高い。うちにきてさらに能力を磨いてほしい」と言われました。
天皇杯3連覇している日本一のチームだから、入っても最初のうちは試合に出られないだろうけど、このチームでいろんな経験をすればレベルアップしていくんだろうな…と思って入団しました。
―入ってみての印象はどうでしたか?
大学バスケとは全然レベルが違い過ぎて…最初は怒られまくっていました。
まるで別世界。
大学時代にしていたことは何一つ通用しなかった。
精神的にもすごく苦しい時期が続きました。
―その状況をどうやって克服したのですか?
最初のうちは答えが見つからず、なかなか時間がかかりました。
ある程度時間がたって分かったのですが、僕は結構考え過ぎてしまう癖があるんです。
それをやめようと。
ずっとバスケの事ばかり思い詰めていると家でもリラックスできなくて、心と頭と体が疲れてしまうので、家に帰ったら一切バスケのことは考えないにようにしようと決めました。
朝起きて家に帰るまでを「バスケの時間」にして、オンオフをしっかり切り替えるように。
それを始めたら心が軽くなった気がします。
―昨シーズンまでは大野HCの下でプレーしたわけですが、大野HCの教えで一番印象に残っていることを教えてください。
「常に目的を持ち、考えてプレーしなさい」と。
「考えていないと、いざミスした時にその原因が分からない。常に自分の取った行動を説明できるようにしなさい」と言われたのは心にしみました。
これはバスケだけでなく全てに言えること。
日常の行動にも目的がないと、ただただ時間が過ぎてしまうので、どんな時間もしっかり目的意識を持って大事に過ごすようにしています。

©︎CHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Keisuke Aoyagi
―昨シーズンはけがもありましたが、プレータイム(出場時間)が増えました。
今までで一番印象に残っている試合を教えてください。
思い出深いのは開幕戦、プロ初得点となったフリースローでの得点です。
コービーも初得点はフリースローでした。
だから僕も「初得点は絶対フリースローがいいな」と夢に見ていたんです。
ファウルをもらってフリースローを打つ瞬間「これを2本決めてコービーと一緒になるんだ」という確信がありました。
不思議と全く外す気がしなかった。
打ったシュートは2本ともスッとゴールに吸い込まれていきました。
「コービーが見てくれているのかな」と思えて…今でも覚えています。
あの瞬間は一生忘れません。
ちなみにコービーの最後の得点もフリースローでした。
だから僕も最後にフリースローを決めて引退するのかな?と思っています(笑)
インドアからアウトドアまでプライベートは充実!
―今度はコート外のことをお伺いします。
チームメイトについて…一番仲のいい選手はどなたですか?
佐藤卓磨ですね。
マイブラザー、ファミリーです。
僕は佐藤家の一員です(笑)
―どっちがボケでどっちがツッコミ…みたいな役割はあるのですか?
僕らはオールラウンダーなので状況に応じてどちらもOK!
常にフィーリングで動いています(笑)
プライベートでよく一緒にご飯も行きますし、家も近所なので遊びに行っています。
―ゲーム好きとも伺っています。メンバーは…
原さん、(西村)文男さんですね。
―誰が一番上手ですか?
一応「僕」と言っておきましょう(笑)
今はまっているのは「エーペックスレジェンズ」という戦闘系のゲームです。
―ゲーム以外の趣味についても教えてください。
休日は何をして過ごしていますか?
温泉、サウナ、ドライブ、音楽、映画、ダーツ、ビリヤード…。
何でもやりたい、いつも出掛けたい派。
休日はできる限り友達と出掛ける予定を入れておきたいと思っているんです。
―近場でよく行くお気に入りの場所はありますか?
温泉が好きなので、幕張の「湯楽の里」と佐倉の「澄流(すみれ)」によく行きます。
ちいき新聞に広告が載っているのを見つけると、ちょっとうれしい(笑)
飲食店では緑が丘イオンの「ガネーシャ」。
ここのビリヤニ(スパイスとお肉の炊き込みご飯)は僕の安定のメニューです。
ジェッツのブースターさんも来るようになって、店の売り上げが上がったって店長に感謝されました(笑)

日本とパキスタンの懸け橋になりたい
―再びバスケの話に戻りたいと思います。
今シーズン、どんな戦いをしたいですか?
今年のチームはディフェンス重視なので、僕が出ている時間帯は、いかに相手に得点をさせないかが重要だと思っています。
一方、得意のスリーポイントシュートやダンクなど自分の能力を生かしたプレーでもしっかりアピールして、Bリーグ界隈にラシード ファラーズの名前を響かせたいですね。
―数字的な目標はありますか?
性格的に、目標に届かないと考えこんでしまいそうだし、目標に意識が向きすぎるとチームプレーにとって良くない影響があると思うので、数字的なことは考えていません。
それより毎試合、出た時間帯に全てを出し切ろうという思いです。
―Bリーグで意識している選手やライバルはいますか?
日本人ビッグマン全員がライバル。
その中のトップでありたいと思っています。
一人挙げるとすれば同世代のシェーファー アヴィ 幸樹(シーホース三河)。
彼も高校からバスケを始めたので、僕と境遇が似ているんです。
仲も良くて、会ったらよく話したりします。
―今年はトム・ホーバスHC率いる新生日本代表で代表候補にも選ばれました。
代表への思いも聞かせてください。
日本とパキスタン、二つの国を背負って戦っている者として、代表に選ばれたいという思いは人一倍強いです。
僕が日本代表に選ばれたら、パキスタンの方にも知ってもらえると思うので。
次のオリンピックの舞台には日の丸を背負って立ちたいです。

©︎CHIBAJETS FUNABASHI/PHOTO:Keisuke Aoyagi
―Bリーグ制覇、日本代表。いろいろな目標がある中で、バスケ人生における最終的な目標といったら何でしょうか?
これはもう一つしかないです。
コービー・ブライアントは僕に生きる希望、モチベーションを与えてくれ、僕は彼のメンタリティーを学んで生きてきました。
コービーにどれだけ救われたか分かりません。
だから、引退するまでに誰か一人でも、僕の姿や言動を見て「ラシードみたいになりたいな」と思ってもらえるように…誰かのモチベーションとなるようなバスケ選手になることが目標です。
―とても素敵な夢ですね!
ではバスケ以外で、人生においてはどんな夢をお持ちですか?
引退後は父の会社を継いで大きくしたいという夢もあります。
日本とパキスタン、それぞれの国のこと、文化などをお互い知らない人も多いので、両国をつなぐ架け橋になりたいですね。
でも実は他にも夢がいっぱいあって…。
引退したらいろいろなことにチャレンジしたいんです。
テレビの仕事もしたい、世界を旅したい、いつか絶対宇宙に行きたい…語り出したら止まらないですけど(笑)。
夢だらけです。
―たくさんの夢がかなうことを祈っています!
ありがとうございました。
