国道16号米本の交差点から新川側に、戦国期の土豪・村上氏の居城である米本城がありました。
そして米本城には悲しい伝説があります。

公開 2023/01/11(最終更新 2022/12/21)

太田道灌VS村上綱清の戦い
室町時代(1336〜1573)、太田道灌が今の飯綱神社の場所である飯綱砦に陣取り、村上綱清と戦いました。
村上綱清は負け、家臣700人余りと逃げて、全員自刃したといいます。
その終焉の地が、米本城跡の南に位置する七百餘所神社です。
七百餘所神社の伝説は本当?
実はこの伝説、「あれ?」という疑問点があります。
太田道灌は1432年に生まれ、1486年に死没、それに対し村上綱清が米本城城主になったのは1532年ごろ。
道灌の死没した年から数えてその間46年間。
常識的に考えれば2人が接するのは不可能だったはずです。
徳川家康よりも先に水浸しの江戸を干拓した武将で、関東のビッグネームである太田道灌。
その太田道灌と村上綱清との夢の一戦は、この地を愛する人々の間で語り継がれた伝説だったと思われます。
そして村上綱清は、現在史料で確認できる範囲では、米本城主だった可能性は高いですが、まだ確定までは至っていません。
歴史上、米本城の戦いは行われたのか、行われたとすれば負けたのか、七百餘所神社での自刃は史実なのか…歴史のロマンは尽きません。(取材・執筆/福)
七百餘所神社
住所/千葉県八千代市村上433
参考文献:『八千代 三万年の足跡』八千代市立郷土博物館
編集・発行