JR四街道駅北口にある広場でイチョウの大木の横に正岡子規の句碑を見つけました。
公開 2023/02/21(最終更新 2023/02/20)

若手新聞記者時代に鉄道を詠んだ句

「棒杭や四ッ街道の冬木立」
冬の寒々とした様子が伝わってきます。
詠まれた当時の四街道には小さな駅があり、車窓から見ると葉を落とした木々、そして原っぱが広がっていたのでしょうか。
総武線は1894(明治27)年12月9日に本所(現錦糸町)と佐倉間が延長開通しており、「總武鐡道」と題した子規の記事が同年暮れの30日の新聞に掲載されています。
四ッ街道の句はその中の一句で、子規は日本新聞入社2年目の若い記者、27歳でした。
本所から佐倉城址へ 総武鉄道での旅
記事の中で子規は「鉄道は風雅の敵」などと言いながら、開通直後に総武鉄道に乗り20句を残しています。
根岸の自宅を出て本所停車場へ向かい乗車しました。
「切符を車の中にて切るなり」と記載があるので車掌から切符を買い求めたことになり、本所駅は無人駅だったのかも。
江戸川の鉄橋を渡ると市川。
国府台や真間を通過し、「白帆遠く右に見ゆる」と行徳の方まで見晴るかせていたことが分かります。
やがて船橋、そして千葉に到着すると、降りる客が多いと書いています。
四街道の風景を詠み、「平野の中に一段高き處なり」と終点の佐倉の町に到着。
坂の上から印旛沼、かやぶきの海隣寺を見て、馬に乗った花嫁の行列にも会いました。
記事を読み、約130年前の総武線を旅した気分。
四街道は鉄道開通と軍事施設の設置から始まり、1945(昭和20)年の敗戦まで軍都として栄えたということです。
(取材・執筆/江梨)