音楽・多目的ホールの習志野文化ホールは、4月の長期休館に入るまでの44年間、文化芸術を育む拠点として、習志野市や近隣の市民に活用されてきました。
公開 2023/03/13(最終更新 2023/03/08)

文教都市の発展に必須の場所

1970年に習志野市文教住宅都市憲章が制定されたのを境に、市は文教都市として、市民の文化活動の場を設けることを街づくりの主軸にしてきました。
その当時、人口10万人ほどだった習志野市には、特に目立ったものはなく、近年の街の様子からは想像もつかないものでした。
市民生活を豊かにするために構想されたホールですが、ホールとともに必要だったのは、市民オーケストラの設立でした。
それが現在の習志野フィルハーモニー管弦楽団(以下、習志野フィル)です。
発足当初はメンバー集めから困難な道のりでしたが、当時の市長の「できるかどうかは、行動してみなければ分からない」という揺るぎない考えの下、市の街づくりに関わる人たちの協力を得ながら、習志野フィルは徐々に態勢を整えていきました。

きっかけは習志野第九合唱団

音響に配慮して造られ、約1500席の程よい収容人数で、木を基調とした造りの習志野文化ホール。
1978年12月、開館記念の「習志野第九演奏会」では、習志野フィルと市民から一般公募された習志野第九合唱団が共演。
その後、習志野第九演奏会はホールの恒例行事となり、習志野フィル以外のオーケストラの出演も含めて、昨年末で第44回を迎えました。
「『第九』のステージに立って、人生に光が差したと思えました。仕事で思い悩む日々が消え、合唱に自身の世界を見つけられました」と、今も合唱団員として活動を続ける参加者の一人は話します。
習志野市は、地域の合唱団やオーケストラが多い街。
日々の文化芸術を発表するホールがあってこそ人が集まり「音楽のまち習志野」を形づくったといえます。
「今後の街づくりの中に完成する新たなホールは、今までになかったバリアフリー化など、時代に対応した形に生まれ変わってほしい」。
ホールに関わる人たちの声は、同時に市民の望みでもあると感じました。(取材・執筆/なご)
