いつも行くお店でも意外と知らない、知ってるとちょっと話したくなる、そんな話題を集めました。
公開 2023/06/21(最終更新 2023/06/22)

編集部 ゆりか
編集部所属の取材記者。白井市出身、船橋市在住。コンテンポラリーダンス、ヨガ、ズンバ、バレエなどとにかく踊るのが好き。取材執筆も好きだが、地図が読めないため取材前はいつも軽く迷う。食べ盛りの夫と3人の子育てに奮闘中。
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隠し扉の先には…? まさかの大仕掛け【珍來】
「すみません、トイレどこですか?」
「目の前にありますよ」
店員が指さす先にはフィギュアとDVDが置かれた棚だけ…。
ん? よく見ると棚の上に「押」ボタン。
プッシュすると棚が横にスライドし…
トイレ現る!
千葉・茨城などの中華チェーン「珍來」柏藤ヶ谷店の隠しトイレです。
徳川慶喜公の曾孫、慶朝さんと意気投合して開発した「将軍珈琲」【サザコーヒー】
江戸時代最後の将軍、徳川慶喜公は大政奉還の前に欧米の公使とコーヒーを飲んだそうです。
茨城発祥のコーヒー店「サザコーヒー」代表の鈴木太郎さんは慶喜直系の曾孫、徳川慶朝さんと偶然出会い、意気投合して「将軍珈琲」を思いつきました。
慶喜公が飲んだコーヒーを再現するため、幕末の文献を調査すると、慶喜公は自邸のコーヒーが底をついたので、東京千駄ヶ谷の出入り業者に頼み、汽車便を使って手に入れたとの記録も残っていました。
開発には慶朝さんも加わり、将軍珈琲として現代風に再現。
慶朝さんはその後もサザコーヒーで焙煎職人として15年活躍しました。
千葉の有名弁当のほっこりキャラクターたち【浜屋・としまや】
テレビでも取り上げられたことがある千葉の2大弁当と言えば、浜屋の「バーベキュー弁当(バー弁)」ととしまやの「チャーシュー弁当(チャー弁)」です。
バー弁を製造販売しているのは吟米亭浜屋で、木更津市内で2店舗営業しています。(木更津西口店は休業中)
「バー弁」のパッケージとして使われているのはコック帽をかぶったたぬき♪
木更津西口店近くには証城寺があり、狸ばやしの伝説があるため、木更津はたぬき推し!とのこと。お店の看板も大きなたぬきです。
「チャー弁」を製造販売しているのはとしまや弁当(としまや商事)。
内房を中心に11店舗あり、千葉市、市原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市などで販売してます。
こちらのお店の看板や箸袋に印刷されているキャラクターは「みどりのかば」。
なんと創業者に似ているそう!
♪みーどりーのカバ~、みーどりーのカバ~♪というCMをラジオや千葉テレビで流していたこともあるとか。
ご当地ピザチェーン店「ピザヨッカー」の生地は「ピーターパン」製
宅配ピザと言えば大手チェーン店を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、地域密着経営で地元民に愛されているのは千葉県船橋市の「ピザヨッカー」。
「全国1番店より地域1番店」というポリシーで船橋市と習志野市に4店舗構えています。
ピザ生地はピーターパンに特注しているほか、ヨッカーのピザソースとチーズは無添加のオリジナルを使用しており、ピザヨッカーの味を支えています。
寿司屋なのにおいしすぎる「プリン」【すし銚子丸】
千葉で生まれたすしチェーンの「すし銚子丸」。
「銚子丸オリジナル特製プリン」は夜には売り切れることもある人気メニュー。
四角いプリンの上にちょこんと生クリームがのっていて、表面は硬く、中は柔らかく、舌の上でなめらかにとろける食感。
SNSでは「銚子丸はプリン屋さん?」「寿司屋のクオリティじゃない」とおいしすぎるプリンが話題に。
お不動様がはじめて成田に御遷座された場所がある【なごみの米屋總本店】
天慶3年(940年)、成田山新勝寺は成田市の南、公津ヶ原と呼ばれる場所に御堂が建てられました。室町時代には成田村の名主、諸岡三郎左衛門が不動明王のご尊像を自分の屋敷内に遷座することとなり、永禄9年(1566年)まで、奉仕をしてきたそうです。
三郎左衛門は米屋株式会社創業者の遠祖にあたり、なごみの米屋總本店敷地一帯が屋敷跡になります。
不動明王とのご縁から、總本店敷地内の庭園は「お不動様旧跡庭園」として大切に保存されています。
庭園の一角には「不動の大井戸」があり、こんこんと湧き出る清水は、長きにわたり霊水として人々に愛されているとのこと。

また、同じ敷地内には「成田羊羹資料館」もあり、羊羹の歴史や作り方を知ることができ、羊羹入りのおみくじを引くこともできます。
創業者の諸岡長蔵は、明治32年に成田山新勝寺の精進料理の栗羹にちなみ、栗羊羹を発売しました。
それが「なごみの米屋」の始まりとなりました。