夏。
キリリと冷えたお茶が乾いた喉にうれしい季節到来。
お茶にもいろいろあるけれど、佐倉がお茶の産地だったことをご存じですか?
公開 2023/07/07(最終更新 2023/07/07)

桜薫る「幸せの茶」を園児が茶摘み体験
5月の新茶シーズン。
千成幼稚園年長組園児たちの茶摘み体験が行われました。
印旛沼のほとりに広がる茶畑は、1912(明治45)年創業の茶屋(株)小川園が2006年に拓いた畑。
園児たちは桜の香り漂う人気の品種「まちこ」の枝葉が背丈ほどに茂る中を並んで新芽を探します。
1本の枝先から2枚の柔らかい葉を摘む「一芯二葉(いっしんによう)」で、摘み取った茶葉を手にする顔は誇らしげ。
時には葉をかじったり、てんとう虫に歓声を上げたり、茶木の弾力を楽しんだりと、全身で茶摘みを満喫しました。
園に持ち帰った茶葉は、天ぷらにして食べ、残りは紅茶にしてみんなでティーパーティーをするそうです。

企画する小川園取締役小川寛人さんは「佐倉茶の技術と伝統を受け継ぐ私たちは、未来に伝える使命がある」と、本業の傍ら1200坪もの茶畑で茶を栽培するとともに、小中学校の授業や家庭教育学級に出向き、佐倉茶の歴史を伝えています。

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サムライが作るお茶 N.Yへゆく
さかのぼること約150年前。
明治維新の廃藩置県により2000人もの藩士が禄(ろく)を失う危機にひんした佐倉藩。
そこで年寄役・倉次亨(くらなみとおる)は農地開拓を提案しました。
当時世界的に需要が高い「茶」に着目し、より大規模に茶を栽培・製茶しようと同志22人と共に、1871(明治4)年佐倉同協社を結成。
印旛沼周辺から霧が出る湿潤な気候で、栽培適地だった上勝田村(現在の八街市富山)を開拓しました。
研究と試行錯誤の末、明治8年に初めて製茶。
その後毎年茶畑を広げ、最盛期には180ヘクタールの茶畑から1200tもの茶を生産したと記録しています。

また生産した茶は、佐藤百太郎(ももたろう)(佐倉順天堂2代目尚中(たかなか)の長男)が米国ニューヨークで開いた店にも輸出していたそうです。
茶どころ静岡県・掛川城には下総佐倉から茶師2人が技術指導に来たことを記した石碑もあります。
高品質な茶を生み出す火入れ(乾燥)技術が高く評価されていたのだろう、と小川さんは教えてくれました。
現在、希少な佐倉産茶葉は粉末に加工し、市内のレストランやパン屋で利用されているそう。
どこかで、貴重な「佐倉茶」に出合えるかもしれません。
※参考文献 『佐倉市郷土の先覚者「倉次亨」』佐倉市教育委員会発行
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