訪れた国や地域90以上、海外への旅は217回。
旅行作家の秋山秀一さんが、自身で撮影した写真とともに、世界の街を歩いた思い出をつづります。

公開 2023/08/26(最終更新 2023/08/23)

東西交易の中継地として栄えた都
アユタヤと聞いて山田長政を連想する人は多い。
徳川家康の時代、朱印船貿易で栄えた日本人町がアユタヤにあった。
その中心人物、頭領が山田長政だった。
アユタヤは、首都バンコクの北75km。
北西から大きく蛇行して流れるチャオプラヤ川、東北からロップリー川、東からパー・サック川が合流する地点に位置し、14世紀半ばから約400年にわたって栄華を誇ったアユタヤ王朝の都だった。

当時、アユタヤはインドと中国を結ぶ東西交易の中継地として発展し、現在のラオス、カンボジア、ミャンマーの一部を領有するどの勢力を築いた。
海外交易で蓄積された富により王宮や寺院などが建設されたが、交易の利権を巡り隣国との戦争が繰り返されることに。
王宮は破壊され台座を残すのみとなり、寺院も壊滅状態となった。
現在アユタヤには頭が落とされた仏像が並び、一部修復された寺院が建っている。
多くの仏教遺跡が集まる地区を歩く
川に囲まれた東西約6km、南北4kmの地区に多くの遺跡が集まっている。
木の根に取り込まれた仏頭が有名なワット・プラ・マハタート。

土台しか残っていない王宮の南に、王室の守護寺院ワット・プラ・シーサンペットの3つの仏塔がそびえている。

通りに出ると、観光客を乗せた何頭もの象が、ノッシ、ノッシとゆっくり歩いていた。
(文・写真/秋山秀一)