人気子ども番組のテーマを作ったり、有名歌手のバックミュージシャンを務めてきたヒトヨシノビタさん。

現在、鎌ケ谷を音楽であふれる街にしようと精力的に活動中です。

※文中アーティスト名一部敬称略

ヒトヨシノビタさん
2023年8月19日鎌ケ谷きらりホールでのコンサートで
ヒトヨシノビタさん
1979年、第18回ポプコン(※)入賞、翌年アルバムデビュー。その後、西田敏行、真田広之、小林明子、ニック・ニューサ、class、グッチ裕三らのバックミュージシャンを務める。NHK教育テレビ「ハッチポッチステーション」のテーマやアニメ「わがまま☆フェアリー ミルモでポン!」他幅広いジャンルの楽曲を制作。2013年に鎌ケ谷で音楽教室を開講。
※ヤマハ音楽振興会主催によるフォーク、ポップス、ロックの音楽コンテスト

 

公開 2023/09/09(最終更新 2023/09/09)

編集部 R

編集部 R

「ちいき新聞」編集部所属の編集。人生の大部分は千葉県在住(時々関西)。おとなしく穏やかに見られがちだが、プロ野球シーズンは黄色、Bリーグ開催中は赤に身を包み、一年中何かしらと戦い続けている。

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大阪で生まれ都内で活躍。鎌ケ谷以前の時代

ヒトヨシノビタさんは大阪府富田林市出身。

4歳の時、地元の河内音頭の歌合戦に飛び入り参戦し、優勝したのが人前で歌った初舞台だそうです。

翌日には早速、両親が購入したピアノが自宅に運び込まれました。

音楽を身近な存在として育ったノビタ少年は、持ち前の歌唱力でテレビの子ども向けのど自慢番組にも出場し、グランドチャンピオン大会決勝まで進んだことも(ちなみに決勝で敗れた相手が歌手の野口五郎さんだったそう!)。

中学生になるとポプコン出場を目指し、作曲も行うようになりました。

当時入り浸っていた楽器店のマスターの影響で、スティービー・ワンダーや山下達郎をよく聴いていたそうです。

1979年、大阪芸大在学中に念願のポプコン入賞を果たし、翌年上京。

日本コロンビアから「HARD TO BE A MAN」というアルバムでデビューしました。

ヒトヨシノビタさん
タイトル「HARD TO BE A MAN」は「男はつらいよ」という意味

その後しばらくはバックミュージシャンとして活動していました。

35歳ぐらいの時、グッチ裕三さんのバックミュージシャンを務めることになり、1992年に結成された「グッチ裕三 with グッチーズ」のメンバーになります(主にキーボード、作曲などを担当)。

94年に放送を開始したNHKの子ども番組「ハッチポッチステーション」では、メインテーマはもちろん、番組中に登場する、童謡と洋楽を掛け合わせたパロディー曲などの制作も手がけました。

ちなみにヒトヨシノビタは芸名。

若い頃、その容貌から仲間内で「のび太」と呼ばれていたところ、グッチさんに「お前はお人好しだからヒトヨシノビタにしよう」と命名されたそうです。

ヒトヨシノビタさん
仲間内で「のび太」と呼ばれていた頃の写真

地域密着ミュージシャンとして鎌ケ谷を音楽で、芸術で盛り上げる

鎌ケ谷に移り住んだのは35年ほど前。

当初は都内を中心に活動していましたが、2013年自宅で音楽教室を始めたのをきっかけに軸足を地元へ移し、地域密着の音楽活動をしていこうと決心しました。

現在、「鎌ケ谷を芸術の街にするぞプロジェクト」を推進中です。

ヒトヨシノビタさん
自宅内のスタジオ兼教室で

プロジェクト立ち上げは約5年前。

いざ「鎌ケ谷を音楽の街に」と意気込んでみたものの、「船橋や柏に比べ、音楽で街を盛り上げるためのマンパワーが圧倒的に少ない。音楽団体やアーティスト、まとめる人がいない」ことに気づいたのがきっかけです。

活動を広げるためには多くの人の協力が不可欠。

そこで鎌ケ谷市芸術文化協会(以下、芸文教)に入り、他ジャンルの文化芸術団体の協力も得ながら進めることにしました。

心強い味方を得て以来、プロジェクト関連のコンサートでは、芸文教のメンバーが運営や宣伝などを手伝ってくれています。

さまざまな人とのつながりや出会いの中で、地元で奮闘する仲間の頑張りに刺激を受け、ますますハートに火がつく瞬間もありました。

この先、他ジャンルとのコラボも含め、地元での音楽イベントを実施していく予定です。

ヒトヨシノビタさん
小田和正のものまねで有名な鎮目政宏さんをゲストに迎えて(8月19日「ハッチポッチコンサート!」より)

いま構想しているのが「鎌ケ谷音楽祭」。

ヒトヨシさんは、第2回から審査員を務める「きらり!アーティスト発掘プロジェクト」や、近年音楽活動の拠点としている白井のライブハウスで、多くの才能あふれる人材を見てきました。

そこで、まだ知られていない鎌ケ谷周辺の優れたアーティストを集めての音楽祭=「鎌ケ谷音楽祭」を開催できたら…と言います。

「彼らを世に送り出す手伝いをし、裏方として支えながら鎌ケ谷の音楽シーンを盛り上げていきたい」と新たな目標を語ってくれました。

ヒトヨシノビタさん
「ヒトヨシノビタと愉快な仲間たち」として地元のミュージシャンもコンサートに多数出演

ヒトヨシノビタ改めノビジイが鎌ケ谷を元気にする

現在、鎌ケ谷きらりホールで9月27日に開催する市民参加の歌ごえ喫茶に向けての準備に余念がないヒトヨシさん。

これはアーティスト支援の活動とは別に、一般の人に大きなホールのステージで歌う楽しさを味わってほしい、と始めたイベントです。

今後定期的に開催していきたいそうで、「いきなりステージで歌う度胸がなければ、客席で一緒に歌うところから参加してみては?」と呼び掛けます。

初開催した6月は、高齢の方の参加が多かったそうで、「歌うことでシニアの皆さんに元気になってほしい」とも。

ご自身は現在66歳。

「ヒトヨシノビタ」としての活動は一区切りにして、今後は「ノビジイ」名義でシニア向けの曲を中心に作っていこうと思っている、と話します。

自宅の音楽教室とは別に、この秋シニア向けのカルチャー教室を開講予定。

教室ではお年寄りに自分の好きな歌を歌ってもらいつつ、喉詰まりを防ぐ発声法なども教えたいとのこと。

声を出すことでお年寄りに健康になってもらいたい、同時に気持ちも上向きになって友達の輪もできれば…とシニア世代にエールを送ります。

ヒトヨシノビタさん

自ら歌うよりは若手のサポート中心にやっていこうと2019年に「隠居ライブ」を開催しましたが、隠居する間もなさそうな忙しさ。

「自転車で鎌ケ谷じゅうを回って鎌ケ谷の良い所をたくさん見つけて、『鎌ケ谷を芸術の街にするための応援歌』を作りたい」と衰え知らずの創作意欲を見せるヒトヨシノビタさんでした。

問い合わせ nobita.hitoyoshi@gmail.com

ヒトヨシノビタさん一問一答

最近驚いたこと

40年前に出したアルバムが世界のシティポップブームに乗って、復刻版が4年前から発売されていたこと。

昔2,800円で売られていたレコードが海外で7万円ぐらいで取引されているのだとか!

今後の挑戦

レコード復刻のおかげで日本コロンビアと再契約したので、今まで書きためた曲から新譜を発売したい。

メロディーが降りてくる場所は?

トイレ。今までの曲の半分ぐらいはトイレで生まれたかも…

ハッチポッチ時代のパロディー曲でお気に入りなのは?

「ボヘミアンラプソディ~犬のおまわりさん」と「一週間の歌~スモーク・オン・ザ・ウォーター」

鎌ケ谷でお気に入りの場所

貝柄山公園、自衛隊の基地(滑走路)

いまイチ推しの曲

シニア向けの歌「わしわしわしわ」。

鎌ケ谷市内の施設や保育園で披露中!

これから世に出るかもしれない地元ソング

「鎌ケ谷大仏の歌」。

軽く自虐も入ったミュージカル仕立てのバラード曲。

これからクラウドファンディングを立ち上げて音源を作る予定。

サビは「大好きだよ 大好きだよ 僕らを守ってくれる鎌ケ谷大仏…」

ヒトヨシノビタさん
鎌ケ谷大仏の歌、発売が楽しみですね♪