歌手を目指し上京した対馬(つしま)さんが、横浜港からロシア極東を経てウイーンへ渡ったのは20歳の秋のことでした。
公開 2023/11/03(最終更新 2023/11/01)

夢を追い夢に破れ 前を向き続けた半生

欧州諸国を放浪した後、パリで出会った画学生の日本人女性とともに帰国した対馬さん。
船橋市に新居を構え、その女性と結婚した後、長野県に200坪の土地を購入。
コミュニティハウスの建設に着手します。

「当時、欧州で日本人は相手にされず悔しい思いをしました。世界に出て活躍できる日本人を育てるために、多人種が交流する拠点を作ろうと考え」、都内勤務の傍ら週末は家族総出で現地に向かい、土台作りからすべて自分たちが手がけ一軒の家を完成させました。
しかし仕事と子育てに忙殺される日々に夢を追い続けられず、15年を費やした「家」は売却、失意の中で対馬さんの心と生活は荒んでいきました。
ひたむきな情熱と 妻の遺志を継いで
そんな時、道路の美化活動に誘われた対馬さんは、趣味の植栽の知識を活かし歩道整備と花壇づくりに没頭。
「より良い街・社会づくりを」という使命感を抱き再び前を向きます。
そして妻の発病を機に障がい者福祉にも目を向け、公共施設や歩道のバリアフリー化などに尽力、また、ワイナリーを併設する障がい者支援施設からワインを購入し知人らに紹介したり、子ども食堂を営むカフェで食事をしたり「少しでも運営に協力できれば」と周知活動を続けています。
今後は、20年先も繁栄を続け豊かに暮らせる船橋を目指し、文化活動や観光客誘致にも取り組みたいと抱負を語りました。