佐久間 英利さんプロフィール

千葉県商工会議所連合会会長、千葉銀行 前取締役頭取
生年月日/1952年10月1日
出身地/千葉県君津郡中郷村(現木更津市)
趣味・特技/音楽鑑賞、ガーデニング、読書

公開 2025/07/29(最終更新 2025/07/24)

編集部

編集部

千葉・埼玉県在住の編集メンバーが、地域に密着して取材・執筆・編集しています。明日が楽しくなる“千葉・茨城情報”をお届けします!!

記事一覧へ

定年まで働き、農業を継ごうと思っていた

早稲田大学の政治経済学部の政治学科で学んだ。周囲の多くの友人が就職したマスコミにも興味があったが、卒業後に地元の銀行に就職したのは、将来農業を継ごうと思っていたからだ。

やはり田んぼは自分でやらなくてはという思いがあった。支店長をひとつぐらい経験したら55歳。それまで父親に農業を続けてもらい、私が退職したら農業を継ごうと思っていたが、私が44歳の時に父が亡くなってしまい、残念ながらその計画は実行されないまま終わってしまった。

頭取にレポートを提出

東京で営業推進の仕事をしていた当時はバブルの真っ最中だった。ノンバンク(信販会社やリース会社など、融資を専門に行う金融機関)向けの融資が膨らんでいることに危機感を抱き、地方銀行協会などの図書館に行って調べ、融資のリスクが高いことを当時の頭取宛てにレポートした。当時の部長と協議した上だったが頭取宛てに直接レポートを出すということは、部門や階層が細かく分かれている銀行組織において、かなり破天荒な行動であったことは間違いない。

レポートが功を奏したのか、その後地銀初のリスク管理室長になった。頭取から1か月後に、業務の内容を具体的に企画し、レポート提出を命じられるなどの試練もなんとかクリア。経営企画部の時にバブルが崩壊し、不良債権や有価証券の損失の処理を担当しながら資本政策の中核を担った。約100億円コストカットを敢行したり、今いる人員を辞めさせるのではなく採用を減らしたりと懸命に取り組んだ。父親には銀行を早く辞めて農業をやるのもよいのではと言われていて、もしクビになったら農業をやればいいやと考えていた。今思うと、周りに忖度せず、自分の意見を正直に言ってきたことが結果としてよかったと思う。