葛飾八幡宮の境内に生えるクロマツには、幹の樹皮が剥ぎ取られた跡があります。
これは「戦争が残した傷跡」でした。
公開 2025/08/11(最終更新 2025/08/04)

「市の木」に秘められた悲しい過去

市川市を通る千葉街道沿いには、砂質を多く含んだ市川砂州(さす)とよばれる一帯があります。この砂州上東西4kmにわたって、砂地を好むクロマツが多く分布しています。一説には梨の栽培が盛んな市川市で、梨の防風林とするためにクロマツが植えられていったとも。このように市内で多く見られるクロマツは「市川市の木」に指定されました。
本八幡の葛飾八幡宮の境内にもクロマツが生えています。
この中の3本のクロマツをよく見ると、幹の樹皮が矢羽根状に大きく剝ぎ取られたような痕が…。
この傷痕は「戦争の痕跡」ともいえるものです。


太平洋戦争末期、燃料不足に悩んだ軍部は、松やに採取を奨励しました。
松やにから作った油を航空機の燃料などに利用するためです。
女性や子ども、高齢者らがその作業に当たったそうです。
市内各所で見られるクロマツの傷痕
葛飾八幡宮の他にも京成市川真間駅前の地蔵山墓地、市川小学校の校庭など、市内の各所で同様の傷痕が見られます。
市川緑の市民フォーラムの2020年年の調査によると、市内で調査した1783本のクロマツのうち採取痕のあるものは71本、断定はできないが可能性があるものは286本あったそうです。

実際に松やにから作った油が航空機の燃料に使われたかどうかは不明で、国民の戦闘意識を高めるために採取が奨励された可能性もあるとか。
戦争を知らない世代が多くなった現在、クロマツに残された戦争の痕跡を通して、改めて戦争について考えてみたいと思いました。
(取材・執筆/日々)