こんにちは、歴史好きの大学生、明里(あけさと)です。今回は、なんと江戸時代初期創業!

千葉県船橋市本町に残る、老舗和菓子屋「廣瀬直船堂(ひろせちょくせんどう)」の歴史と貴重な建物をご紹介します。

船橋が成田街道の宿場町としてにぎわっていた頃の面影を残す和菓子屋。老舗ながらも、新しい挑戦を続けている姿勢が印象的でした。

公開 2021/02/26(最終更新 2024/01/11)

明里

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女子大生。レトロな商店街や遊廓史などに興味があり、千葉県を中心に日々各地を探索しています。ブログ「Deepランド」で地域の小さな歴史や建物などを紹介中。https://deepland.blog/

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「船橋宿」成田街道の宿場町として栄えた船橋本町

「成田街道(佐倉道)」の最大の宿場であり、交通、旅籠の利用者も多かったのが「船橋宿」でした。現在の千葉県船橋市本町あたり。「本町通り」と呼ばれています。

江戸時代、成田山信仰が盛んになり、成田山新勝寺への参詣道として庶民に親しまれた成田街道。当時、江戸から成田山新勝寺までは、3泊4日の小旅行であったといわれています。その宿泊場所の一つが船橋だったのですね。

船橋宿で最も有名な話とされているのが「八兵衛」です。一般的に「飯盛女(めしもりおんな)」と呼ばれる遊女が、日本各地の宿場町に存在しました。

しかし、船橋宿では女性が「…しベぇ、しべぇ」と口癖を漏らすことから「八兵衛」と呼ばれるように。その評判は『東海道中膝栗毛』作者の十返舎一九も書き記しています。江戸の人にとっては船橋大神宮と並ぶほどの名物だったそうです。

その後、遊郭関係は船橋市の中心部から、西へ移されることとなり、「新地遊郭」が開業しました。廣瀬直船堂の隣に、昭和30年頃まで存在した3階建てのお城のような建物は、遊郭の建物だったと伝わっています。

そんなにぎわっていた船橋宿ですが、慶応4(1868)年の戊辰戦争の一つである「船橋戦争」により大半が焼失してしまい、宿場町についての資料がほとんど残っていません。そのため、現在も残る「廣瀬直船堂」と、その向かいにある「森田呉服店」は数少ない当時の面影を残す店舗なのです。

創業300年「廣瀬直船堂」の波乱万丈な歴史

千葉県船橋市本町。船橋駅から成田参詣でにぎわった「本町通り」を歩いていると、木造の立派な建物が視界に入ります。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」です。

現在の店主は11代目。人柄の良さがにじみ出ている、物腰柔らかで話しやすい方です。代々受け継がれてきた廣瀬直船堂の歴史を伺いました。

戦前の廣瀬直船堂のにぎわいを見ていきましょう。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

明治の頃は店頭に椅子もあり、多くの方が休憩している様子がうかがえます。

右に映っているのは、昭和10(1935)年の廣瀬直船堂の自家用車の写真。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

昭和初期に、車を3台も保有するというのは簡単なことではないはずです。

その車で成田街道沿いの「陸軍騎兵学校(現:習志野駐屯地)」までパンを運んでいたそうです。銀座木村屋さんに製法を教わり、廣瀬直船堂にある窯でパンを作っていたといいます。

こちらは明治期に店頭に飾られていた、廣瀬直船堂の看板です。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

当時は看板の大きさに比例して税金がかかっていたそうです。金箔の付いた明治の看板は重厚感があって立派ですね。

現在飾られているのは大正期に作られたもの。

一枚板の看板となっています。建物を見学する際は看板にも注目してみてください。

さらに、歴史を伝える資料が店舗の奥に飾られています。

「成田街道」の書は、幕末から明治時代にかけての著名人・山岡鉄舟が一筆残したものです。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

習志野で行われる演習をご覧になるため、成田街道を通った明治天皇のお供である山岡鉄舟が記念に書いたものとされています。船橋宿の繁栄ぶりを感じる貴重な資料です。

同時期のものとされる、日本橋から成田山新勝寺の絵図も史料的価値は高いと思います。

 

そして、スフィンクスのような絵が描かれている資料は、なんと明治期のエジプトのお土産だそうです。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

医者になりたいという方を金銭的に援助し、その方がお土産に持ち帰ったものだそうで、どれほどの価値があるのか計り知れません。

このように、廣瀬直船堂は戦前、大変繁盛しました。

しかし、戦中~戦後は、時代の流れとともに苦労したようです。戦中は「金属類回収令」によって鉄製品はすべて、車も没収。すっからかんになってしまいました。そのため、戦後は和菓子を作る道具、原材料さえもなく、ブリキの玩具を店頭に並べていたとの話もあるほどです。

そして、西洋文化が次々と入ってきたため、和菓子が中心だった食文化も変化しました。近くに和菓子屋は何店舗もあったそうですが、現在も残っているのは廣瀬直船堂のみ。波乱万丈な時代を生き抜いてきた老舗和菓子屋は、一層輝いて見えます。

気になっている方も多いかと思いますが、「廣瀬直船堂(ひろせちょくせんどう)」の由来は何なのでしょうか?

実は七代目、廣瀬直次郎さんの”直”と船橋の”船”から取ったものだそうです。すてきな店名ですね。

廣瀬直船堂の建物を見学

「廣瀬直船堂」の建物は、「船橋市景観重要建造物」に指定されている貴重な建物です。今回は特別にお店の裏にある蔵も見学させていただきました。

1.昭和初期に建て替えられた建物

現在のお店は、大正7(1918)年に建築された切妻造瓦葺の建物です。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

本町通りでは、昭和30年代後半から耐火中高層建造物化が進められましたが、廣瀬直船堂では建て替えをせずに建築当時の姿を留めています。

一方で、古い建築を維持する難しさを語る、店主の言葉にグッと来ました。

「建物はいつかは壊れるもの。ただ、壊れることを受け入れて、その中で新しいものにしていきたい。古い物をただ無くすのではなく、新しいものとミックスさせ、使えるものは店内に残していきたいと考えています」

古い物を活かして新しい店舗にするかどうか。建物をどう活用していくかを考え中だそうです。

近年の台風など自然災害の影響は大きく、屋根瓦が剥がれ、床にヒビが入るなど苦労をしています。船橋では、川越や佐原のように街全体で歴史建造物を守っているわけではないため、個人で負担をしなければならないのです。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

高層ビルの間に挟まれた廣瀬直船堂の建物を裏から見た写真。少し寂しそうです。

2.お店の奥にある蔵

普段は公開していない、お店の奥にある蔵も見学させていただきました。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

2つの蔵が残っています。現在は、和菓子を製造する場所、住居として利用しているそうです。以前は店舗と繋がっていた離れがあり、池もあったとか。その名残で岩山が蔵の前に残っています。

廣瀬直船堂がいかに繁盛していたのかを感じます。

新しい挑戦を続ける老舗和菓子屋

1.「関東焼き」が名物

廣瀬直船堂の看板商品は「関東焼き」です。老若男女問わず人気のある、薄焼きの醤油味のおせんべい。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

一袋二枚入っているので、並べると無限の形に。また、丸なので縁起が良いとされています。

おいしくてすぐに食べ切ってしまうからと一度にたくさん買い求める方も多く、箱のサイズのバリエーションが豊富です。よりサービスをしたいと、まとめ買いした方がお得になる価格設定になっています。関東焼きは40年以上前から販売。関東焼きと共に育ったという方も多いらしく、売っている場所がわからなくて、探していた!という人もいるそうです。

江戸時代初期創業の和菓子屋「廣瀬直船堂」

今は客足が少なくなっているため、和菓子を作って店頭に置くのではなく、予約があったときに作るようにしているとのこと。名物の関東焼き以外にも、色とりどりな和菓子が奥にも並べられています。

また、昔は節句やひな祭り、こどもの日といったイベントには大量の注文がありました。現在は伝統行事の縮小などもあり、和菓子自体の需要が減っているのかもしれません。

2.コロナ禍、続々と新しい挑戦も

老舗和菓子屋といっても、やはり新型コロナウイルスの影響はかなり大きいそうです。お客さんから心配の電話も多く来ていたらしく、それほど地元の方に愛されるお店だということが分かります。

コロナの影響を機に、昨年STORES(ストアーズ)でネット販売を開始。自由に外出ができない中でも、多くの人に届ける工夫を重ねています。

STORESインスタグラムTwitterlineの公式アカウントの運営、広告掲載、今年公開予定の映画『ファーストミッション』の撮影(全編船橋市で撮影)、ウエディングフォト撮影のロケ地協力…

昨年から始めた挑戦を伺ってみたら、私もびっくりするほど、多岐にわたる活動をされていました。

しかし廣瀬直船堂の古い建物は知っていても、詳しくどんなお店なのか知らない人は多いといいます。そこで最近新たに考えているのが宅配デリバリーサイトの活用。

宅配便より安く、すぐに届けてくれます。まだ導入していない老舗が多い中で、話題性もあるのではと考えているそう。

廣瀬直船堂はSNSでの発信も積極的に行っていますが、フォロワー以外の方にもっとお店を知ってもらいたいとのこと。昨年からいろいろと取り組んできたことが今年、実ると良いですね。

どうしてここまでアグレッシブなのでしょうか?店主に伺ってみました。

「簡単に諦めないのが自分。坂本龍馬さんの『前向きに死にたい』という言葉が好きで、『何もやらないよりはやって死にたい』」

現在の状況も前向きに捉え、挑戦を重ねる姿にとても感銘しました。

また、船橋宿近辺のお店には同級生が多く、意見交換をしながら協力しているんだとか。船橋宿の歴史は、強い絆で受け継がれているのですね。

老舗和菓子屋「廣瀬直船堂」を中心に、船橋駅周辺に残る宿場町としての歴史に思いを馳せながら散歩してみてはいかがでしょうか。遠方の方も、廣瀬直船堂のネット販売、SNSから商品を購入することができるのでぜひ覗いてみてくださいね。

廣瀬直船堂

住所/千葉県船橋市本町3‐6‐1

営業時間/10時~18時30分

定休日/水曜日

アクセス/京成本線「京成船橋駅」徒歩6分、京成本線「大神宮下駅」徒歩7分、JR中央・総武線「船橋駅」徒歩9分

問い合わせ/ 047-422-2031