昭和33(1958)年から親しまれて来た京成大久保駅(香取駅長)駅舎。
高校や大学の通学最寄り駅として利用されていて、たくさんの思い出とともに卒業していった人も多数いることでしょう。

取り壊されるのを惜しむように、ほのぼのとした駅舎の絵が改札口近くに飾られています。
この絵を描いた「放浪のお絵描きおじさん」こと百田稔さんを取材しました。

公開 2021/06/21(最終更新 2021/06/18)

京成大久保駅や市川真間駅に作品が展示されている

百田さんは市川市在住。
市川真間駅(富岡駅長)のホームにも百田さんによる母の日イベントの駅の絵があり、改札窓口横のアートウォールに掲示された季節ごとの絵は、利用客を楽しませています。
駅名を「市川ママ駅」にする母の日イベントでは、百田さんの絵のカードが配られていました。

仕事一筋の定年後は冒険とお絵描き
百田さんは山口県下関市長府に生まれ育ちました。
「小学1年生の1年間、絵日記を描き続け、校長室に呼ばれて髭の校長先生に褒められた」そうです。
夏休みの宿題では3、4枚も絵を提出し、全てが金賞に輝くお絵描き好き、運動苦手少年でした。
定年後、「忘れ物を取りに」と始まった絵を描く旅は旧東海道から。

日本橋からスタートし1日約25km歩き21日で大阪へ。

「3日目、小田原で筋肉痛になり、家族には『途中で帰ってきても笑わないで』と言っておいた」ので安心して眠ると、不思議なことに「翌日は箱根の石段登りも足が慣れたのか、痛みはなくなっていた」そう。
2004年春のことです。
冒険旅は、山陰道、旧中山道、沖縄、そして車で北海道一周もしていて、富士登山まで果たしています。
14年間で日本中を巡り、「空白は大分県と奈良県」と2県を残すのみ。
「絵は感動した場面で30分で描き上げる」にこだわり、サイズはポストカード大。
フェルトペンと水彩絵の具でご当地の歌を唄いながら描いていると必ず声が掛かるそうです。
百田さんの人柄なのでしょう。
旅では、歩道のない橋やトンネルで大型車にあおられ、牛のふんと思っていたのが熊のものだったりと、日常生活では考えられない命の危険にさらされます。
「緊急連絡先などを書いた迷子札は必携」と百田さん。
午後7時の家族との安否確認電話も欠かしません。
旅の記録は、毎日絵葉書として留守宅に郵送しています。
他の絵もコピーし、ファイルした画集の一枚一枚からは、その時の思いがひしひしと伝わってくるようです。
絵手紙講師としても活躍中です。(取材・執筆/江梨)

会期/7月1日~29日
会場/市川駅南口図書館内 ギャラリー
住所/千葉県市川市市川南1-10-1