原田京平「ハケの道と手賀沼2」(1924) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「ハケの道と手賀沼2」(1924) 我孫子市白樺文学館蔵
今の手賀沼湖畔にも通じる面影があり、素朴で力強い線からは、土や緑の匂いがしてきそうなエネルギーが感じられます。

住民の私が感じる我孫子市の魅力の一つは、志賀直哉、柳宗悦など白樺派の文人や芸術家たちが集い活動した歴史があるなど、文化遺産が豊富なところです。

市内の白樺文学館を訪れた際、画家・原田京平が描いた我孫子の絵にとても心惹かれました。「白樺派の精神を受け継いだ人物」として今注目される原田について、白樺文学館の学芸員である稲村隆さんに取材しました。

公開 2021/07/29(最終更新 2023/12/26)

野中真規子

野中真規子

フリーライター歴20年。取手市出身。2021春に東京から我孫子市に移住し、手賀沼周辺の水辺や豊かな緑、遺跡、史跡、ユニークな個人商店などに囲まれた生活を満喫中。スパイスと魚影、日本語ROCK、RAP、民族的デザイン、音楽、祭り好き。https://makikononaka.com/

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我孫子市と白樺派の縁について

白樺派とは、1910年に学習院出身者を中心に創刊された同人誌『白樺』に集った人々を指す言葉です。

原田京平「我孫子風景」(1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「我孫子風景」(1928) 我孫子市白樺文学館蔵

『白樺』は、学習院に通う文学好き、美術好きの学生たちがそれぞれ同人誌を作っていた中で、合同の雑誌を、と創刊されたものです。文芸作品のほか、ロダン、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンなどの西欧美術も紹介し、日本に広めるきっかけを作りました。

白樺派の同人には、武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎などの作家や、思想家で、のちに民藝運動の父と呼ばれた柳宗悦もいました。彼らの活動は同時代の文学者や美術家に大きな影響を与え、千家元麿、高村光太郎、岸田劉生、梅原龍三郎、バーナード・リーチなどが白樺派との親交を深め、『白樺』に寄稿しています。

そして我孫子は、その白樺派と深いゆかりがあるのです。

「既に刊行されている『我孫子市史 近現代篇』(2004)では、実は白樺派のことはあまり触れられていません。つまり『我孫子にとって白樺派はどういう存在だったのか』については郷土史の中で明確に位置付けられていないのです。そのため、私が着任してからはそれをキーワード、テーマに展示・イベントを企画してきました」と稲村さん。

我孫子市白樺文学館学芸員 稲村隆さん。
我孫子市白樺文学館学芸員 稲村隆さん。YouTubeで「我孫子・白樺派」を紹介するトーク動画を配信するなど、我孫子市の文化的遺産の魅力をPRされています。

我孫子市は1896年に常磐線が開通して我孫子駅が設けられ、1901年には成田線も開通、東京から1時間15分というアクセスが確立しました。駅前に製糸工場ができるなど近代化する一方で、手賀沼周辺の自然豊かな環境は多くの文化人や財界人を集めました。日本橋の薬種問屋「島久商店」の島田久兵衛が手賀沼を見下ろす丘の上に別荘を設け、続いて島田に誘われた国際的ジャーナリスト杉村楚人冠、教育者で講道館の創設者でもある嘉納治五郎も別荘を構えました。

その後、嘉納は甥である柳宗悦を我孫子へと導き、1914年には柳が、翌年に志賀直哉が、さらに翌年には武者小路実篤が我孫子に転居。柳は我孫子生活の中で朝鮮の陶磁器との出会いから民藝運動へのきっかけをつかみ、志賀は止まっていた筆が動き出し、代表作『暗夜行路』の連載を開始。武者小路は人間らしく生きる理想の社会をめざして、「新しき村」の創設に向け思想を熟成させました。

「それぞれが人生のステップとしてこの我孫子で若き時代を過ごし、ひとつの文化空間を創造したといえるでしょう。また彼らが我孫子に住んだことをきっかけに、文学、美術など多彩な分野の人々を引き入れることになります。それを白樺文学館では文学・美術サロン、文化空間として『我孫子・白樺派』と定義づけ、研究・情報発信しています」(稲村さん)

白樺派を受け継ぐ画家・原田京平

「我孫子・白樺派」の精神は、1923年に志賀が我孫子を去ったのちに自然消滅したかと思われていましたが、最近になって画家・歌人の原田京平により継承されていたことがわかっています。

「原田は本名である京平のほか、恭平・聚文(しゅうぶん)・和周(わしゅう)など画号(ペンネーム)がいくつもあったこともあり、これまで世の中に広くは知られていませんでした。しかし京平の次女・原田南さんが2005年、当時私営だった白樺文学館を尋ねてくださったことをきっかけに、調査・研究が始まります。そして今日『我孫子・白樺派』の継承者として顕彰するに至ります」(稲村さん)

在りし日の原田京平(我孫子在住期か) 我孫子市白樺文学館蔵
在りし日の原田京平(我孫子在住期か) 我孫子市白樺文学館蔵

原田京平は1895年・静岡県浜松市生まれ。旧制浜松中学校(現浜松北高校)に進学後中途退学し、洋画家を目指して上京します。1913年に上京して太平洋画会研究所に入所し、1915年には第二回再興院展に「男の顔」で初入選。1917年には美術院の同人山本鼎に師事するとともに、美術院院友に推薦されます。その後1918年には短歌や詩などの創作にも取り組むようになったと考えられています。

1921年には牛原睦と結婚し、東京の目黒から我孫子の島田久兵衛別荘に移住。すでに我孫子にいた志賀直哉らと親しい交流があったと思われ、翌年に原田の長女の麻那が誕生したことが、志賀の日記に記述されています。

1922年には春陽会に参加。当時の会には山本鼎、岸田劉生、木村荘八、梅原隆三なども在籍していました。さらに1923年に志賀が我孫子を去った後、原田は志賀邸の母屋へ移住。1925年には次女南が誕生しました。翌年には第一回聖徳太子奉賛美術展覧会の第一部委員に任命されています。

1928年には我孫子での生活を終えて世田谷に移住。1931年には睦と朝鮮や満洲などを歴訪し、翌年には春陽会第10回展に朝鮮京城の風景画を出品。朝鮮、大連でも個展を開催するなど精力的に活動しました。1934年には春陽会会友に推薦されますが、1936年1月16日に肝臓がんでこの世を去ります。没後、同年7月に銀座日動画廊、8月には阪急洋画郎にて遺作展が開催されました。

原田京平「ハケの道と手賀沼3」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「ハケの道と手賀沼3」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵

「我孫子に住んだ白樺派文人たちと同様、原田も我孫子で暮らした約7年の間は、画家としての人生を振り返っても特筆すべき時代でした。私生活でも新婚時代を過ごし、2人の娘を授かっています。志賀直哉、柳宗悦らも我孫子で同時期に子育てを経験しましたが、彼らにとっての我孫子はまさに、我、孫、子と続く愛を育む絆の地だったのではないでしょうか。原田の娘たちはそれぞれ染織家の原田麻那、洋画家・挿絵画家の原田南としてのちに活躍。麻那は柳宗悦の甥である柳悦孝に弟子入りしています。

我孫子の文化的サロン空間は、10数年前までは志賀直哉が去って消えたと思われていました。しかしその後も原田を訪ねて多くの芸術家が我孫子へ集っていたことがわかっています。原田を中心に、『我孫子・白樺派』は存続していたのです」(稲村さん)

100年前の我孫子を描いた原田京平の作品たち

白樺文学館に寄贈された原田京平の作品は約500点。油彩画、水墨画などの絵画類のほか、収集していた陶磁器や民族楽器などの民藝品、白樺派文人らとの関係を窺い知れる書簡類なども。

「当館では資料整理をしながら、油彩画の修復も行い、2015年には初めて原田に関する展示を行いました。以後切り口を変えながら、さまざまな展示を行っています」(稲村さん)

白樺文学館からお借りした原田の作品を、以下にもご紹介します。100年前の我孫子周辺の景色を、どうぞお楽しみください。

原田京平「我孫子風景(崖)」(1923) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「我孫子風景(崖)」(1923) 我孫子市白樺文学館蔵

「原田がこの作品を描いたのはちょうど志賀邸に移り住む頃と思われます。地図地形等から、現在の我孫子第一小学校へと通じる崖上から手賀沼を見下ろすあたりだと推測されます」(稲村さん)

原田京平「林(我孫子風景)」(1921) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林(我孫子風景)」(1921) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵

原田が描いた100年前の風景から、我孫子の未来を考える

原田が描いた100年前の風景が、我孫子の未来に向かって、これまで培った歴史や文化をどう活かしていきたいかを考えるきっかけになれば、と稲村さん。

「絵に描かれている場所を想像しながら我孫子の手賀沼湖畔を歩いてみると、風景がかなり変わってしまったところも多い。また70代くらいの方には『志賀直哉が住んだ場所だから引っ越してきた』など、『我孫子・白樺派』の人々に親しみを感じておられる方もいますが、若い世代、子育て世代などではまだまだ知らないという人も多いと思います。

原田京平を含む『我孫子・白樺派』は近代我孫子の象徴的存在です。現代にいたる歴史、文学、美術などの分野に関心がある魅力的な人々を我孫子に引き込んだ、文化的サロン空間の創造者ともいえるでしょう。

そこで次に期待するのは、ポスト『我孫子・白樺派』の登場です。我孫子には今でもゆかりの作家・芸術家や、在住の方もおられると思います。100年前の『我孫子・白樺派』を継いだ原田のような存在や、それを創り出した志賀直哉たち白樺派のような人々が、我孫子を盛り上げてくれればと思っています。

その一環として、弊館では柳宗悦の妻で声楽家の柳兼子が愛用したピアノを使用し、市民スタッフによる演奏と白樺派、民藝運動の作品についての朗読コラボレーション『白樺の調べ』、学芸員の展示解説トーク『稲村雑談』など各種イベントを開催しています(現在は新型コロナウイルス感染症対策のため中止)。ぜひ文化空間の残り香を感じていただければ」(稲村さん)

11月には原田京平の短歌に関する資料などを展示する特別展を開催予定。また白樺文学館では、原田京平の絵画や白樺派に関する資料をはじめとする文化財をさらに活用していくためのリニューアル計画があり、募金活動も行っているそうです。

原田京平の絵を眺めながら、私も我孫子の豊かな自然や文化的な魅力を再確認し、それを守るために住民として何ができるのか考え、行動していきたいと感じました。

原田京平「林・民家(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵
原田京平「林・民家(我孫子風景)」(1921~1928) 我孫子市白樺文学館蔵

白樺文学館

白樺文学館
住所/千葉県我孫子市緑2-11-8
開館時間/9時30分〜16時30分
休館日/毎週月曜(休日の場合は開館し、直後の平日が休館)年末年始
※8月2日まで設備更新で休館。
料金/一般 300円、高校生・大学生 200円(団体料金、鳥の博物館、杉村楚人冠記念館との共通券もあり)
アクセス/JR我孫子駅南口より徒歩15分(1.2キロメートル)
JR我孫子駅南口よりバス 3つ目の停留所:アビスタ前下車 徒歩2分)
問い合わせ/04-7185-2192
Twitter/@abikoshirakaba(毎日更新)
ブログ「文学館だより」/https://abikoshirakaba.blogspot.com/
8月3日より「常設テーマ白樺派と我孫子2021」後期開催(11月14日まで)