絶えず変化し道行く人々を楽しませる、上志津原ふれあい通りの花々や木々。
この散歩道を支える人々の地元愛と、明るく楽しい団結力の秘密を探ってみました。

公開 2022/02/08(最終更新 2022/03/08)

ふれあい通りの生い立ち
佐倉市上志津原。
ここに住む人々はこの地域を「はら」と呼んでいます。
1945(昭和20)年から旧軍用地の農地化が始まり、終戦後の深刻な食料不足対策と旧軍人の働き場所をつくる国策により、北は新潟、南は沖縄まで全国から入植者たちが集まりました。
46年4月、幹線道路沿いに国有の防風林が造られ、90(平成2)年佐倉市に移管されるまでの44年間、「はら」の人々は植えた樹木をひたすら守り続けてきたのです。
98(平成10)年、佐倉市はここに遊歩道を造って「ふれあい通り」と名付け、イチョウの一部とクスノキ計20本ほどを植えましたが、それ以外は「はら」の人々が手を加えてきました。

ふれあい通りの花壇を維持する部会
町会の中に設立されたまちづくり委員会会長の萩庭一彦さんは語ります。
「開拓を乗り越えて一世の人たちが残してくれた町『はら』とそこで暮らす人々の絆。子どもたちがここを故郷と思って帰ってきてくれるような町にしていきたい」

萩庭さんが率いるまちづくり委員会にはイベント部会、パソコン部会など幾つかの部会がありますが、その中の一つが「ふれあい通り部会」。
「ふれあい通り部会」は遊歩道の保全活動や花壇造りを担当し、植え付け・防犯のための刈り込み・台風で吹きちぎられた葉や落下風木の整理などの後始末などを行っています。
そのおかげで全長1.3㎞のふれあい通りを歩けば、サクラ・アジサイ・ヒマワリ・ヒガンバナ・イチョウなどが季節を追うとともに変化し、ペットの散歩・ウオーキング・ベンチでのおしゃべりなどでこの通りを行き交う人たちの暮らしをよりいっそう魅力あるものにしています。
さらに春にはサクラ・冬にはイチョウの木々が見事にライトアップされます。

昨年の東京オリンピック開催時には急きょ五輪の花壇も造られました。

八千代市・四街道市・千葉市に接する「はら」。
住人や近隣の人々の目を楽しませ、心弾ませるため、ふれあい通り部会は日々奮闘中です。