桜井水神宮は江戸時代から地域で「しいじん様」と親しまれてきました。
公開 2025/11/01(最終更新 2025/10/24)
花
48歳で普通自動二輪免許を取得したへっぽこアラフィフ主婦ライダー。千葉は魅力的なライディングスポットがたくさん!取材と称してソロツーを楽しんでいます。【ブログ】https://ameblo.jp/ohana-hann/
記事一覧へ子どもだけで社殿に泊まった思い出
「子ども時代のみんなの遊び場で、お祭りの夜に子どもだけで社殿に泊まった」と言う横田和也さんと、「僕の頃は社殿に入れなかった」と言う5歳年下の鶴岡俊之さん。
過ごした時代で思い出は異なれど、水神宮を愛する思いは同じ。
二人は、老朽化で存続が危ぶまれる水神宮の復活を目指し、2021年に「守る会」を結成。
歴史調査や情報発信を行っています。


人々と歩む「負けない神社」の歴史
ところで、街なかの桜井になぜ水神宮なのでしょう。
実は桜井地区は1970年代に海が埋め立てられるまで漁師町。
海と漁の安全を願い、水の神・イチキシマヒメを祭る広島県厳島神社から分霊したのが水神宮なのです。

「水神宮は明治時代の2度の大火にも負けず、神社から南に火は広がらなかった。当時の人は『水神様が守ってくれた』と感じたようです」と鶴岡さん。
また桜井地区藩主・林忠崇(ただたか)は戊辰(ぼしん)戦争で義により旧幕府軍に加わり、明治維新で大名の身分お取り上げに。
しかし忠崇は運命に負けず立ち向かい、後に家名復興が認められ「最後の大名」として94歳で大往生を遂げました。

「水神宮と林家は、忠崇の父・忠旭(ただあきら)の名が社殿に残るなど深い縁があります。困難に負けない忠崇を見守った水神宮を、『負けない神社』として地域の歴史と共に伝え残したいですね」と横田さんは語りました。
問い合わせ
電話番号/090-3918-6481 厳島神社桜井水神宮を守る会