平安時代初期より大国主命(おおくにぬしのみこと)を主祭神と仰ぎ、久久田大明神として信仰されていた菊田神社。1180年、藤原師経(もろつね)が左遷され一族が下向した際のこと。

公開 2026/04/07(最終更新 2026/04/03)

ちいき新聞ライター

ちいき新聞ライター

地域に密着してフリーペーパー「ちいき新聞」紙面の記事を取材・執筆しています。

記事一覧へ

菊田神社の由緒と藤原時平公の合祀

海路で袖ヶ浦へ向かおうとしましたが、海が荒れていたため、久久田(くくた)浦(現在の津田沼)の入江で休むことに。

陸に上がると久久田大明神があり、ここまで無事に来れたのも、このご祭神(さいじん)のご神徳(しんとく)だと深く感銘してお宮を崇(あが)め、この地に住むようになりました。

参道から本堂を望む
参道から本堂を望む

そして祖先である藤原時平命を合わせて祀(まつ)ったそうです。

ご祭神である時平は871年生まれ。

最初の荘園整理令の施行や、戸籍に基づき民に田を与える班田(はんでん)収受を行いました。

菅原道真との政治的争いで語られることも多いですが、参議や左大臣といった大事な役割を果たし、政治的手腕を発揮したことでも知られています。

来年は9つの神社が参加する大祭

菊田神社本殿
菊田神社本殿

こうした由緒を背景に、菊田神社は現在も地域の信仰と祭礼の中心として親しまれています。

その象徴的な行事の一つが千葉県指定無形民俗文化財「下総三山(みやま)の七年祭り」です。大祭は秋ごろに斎行(さいこう)(※1)、9社の神輿が船橋市三山に集まります。

翌日は「花流し」(※2)で神輿(みこし)を担ぎ、地元を練り歩きます。

最終日は午後8時に宮入(みやいり)(※3)のため、神輿は刻限ぎりぎりまで鳥居前に踏みとどまります。

午後8時、ようやく鳥居をくぐりますが、神輿を下ろすのを惜しむ担ぎ手らは、名残を惜しみ、熱気の余韻を分かち合うかのように、力尽きるまで神輿を揺らし続けます。

この、数えで7年に1度の大祭が、来年に控えています。

アイーン狛犬と親しまれている参道の狛犬
アイーン狛犬と親しまれている参道の狛犬

菊田神社
住所/千葉県習志野市津田沼3-2-5
電話番号/047-472-4125

※1 神職が身を清浄にして神事を行うこと
※2 神輿がそれぞれの地域を回ること
※3 神輿が神社に戻ること
【歴史には諸説あります】