かつて手賀沼の周辺には、文化人の別荘が数多く存在。喧騒から離れた美しい景観は、豊かな心と、素晴らしい作品を生み出す創作意欲につながり、文化人たちの交流の場になりました。

公開 2022/04/10(最終更新 2022/04/08)

MinK
会社員との兼業ライターです。旅行会社出身で添乗資格を持っており、旅行の知見を会社員以外で活かせる場はないか?と考えて、ライター活動を始めました。千葉のお出かけスポットや史跡などを取り上げて紹介します。ドラマのロケ地や洞窟めぐりが趣味。https://minksroom.hatenablog.com/
記事一覧へ北の鎌倉とも呼ばれた景勝地・我孫子
昔から名だたる文豪や芸術家は、静かな温泉地や、風光明媚な場所を好んで創作活動に没頭したといわれています。
後に「民藝の父」として知られる柳宗悦らを中心とした「白樺派」(※学習院出身者を中心に創刊された文芸雑誌『白樺』に集ったグループ)の拠点になった我孫子。
大正〜昭和にかけて、別荘地が立ち並んだ手賀沼周辺は、昭和初期まで、美しい緑と水辺の景勝地で、高台からは富士山も見えたといいます。

景観の良さに加えて、東京から汽車で1時間余りというアクセスの良さも文化人たちを引きつけ、数多くの思想や作品が、この地で生み出されました。
人との出会いが、素晴らしい作品を生む
柳宗悦の我孫子への移住が契機となり、小説家の志賀直哉、陶芸家のバーナード・リーチらが次々とやって来て、文化人たちの親交が始まります。
柳宗悦に誘われて我孫子で陶芸活動をしたバーナード・リーチは、白樺派との交流を通じて、西洋と東洋の美の融合を目指しました。
また、父親との確執に苦しみ、思うような執筆活動ができなかった志賀直哉も、白樺派との交流に癒やしを得て、再び創作意欲を高めていきます。
我孫子白樺文学館学芸員の稲村さんは、「実は、我孫子にゆかりのある文化人たちは、そんなに長く住んだわけではありません。しかし、彼らがこの我孫子で出会い、絆を深め語り合うことで、期間は短くても、それぞれの人生や創作活動にとって重要な時期になりました」と話します。

今でも「物語の生まれるまち」と呼ばれている我孫子。
若き文化人たちにとって、我孫子はまさに出会いと絆の地といえます。
(取材協力)我孫子市白樺文学館
住所/千葉県我孫子市緑2-11-8
開館時間/午前9時30分~午後4時30分
休館日/月曜(祝日の場合は開館、翌平日休館)、年末年始
料金/一般300円、高校生、大学生200円
(団体料金、鳥の博物館、杉村楚人冠記念館との共通券あり)
問い合わせ/ 04-7185-2192