こんにちは、歴史好きの大学生・明里(あけさと)です。今回取材したのは、千葉市花見川区検見川町にある「金物屋マツヤ」。明治創業の老舗金物店で、かつて宿場町として賑わいのあった検見川町の歴史を含めてお話を伺いました。
ホームセンターなどの大型店にはない、「町の金物店」ならではの魅力。金物店に馴染みがない若い世代にも、お店に足を運んでいただきたいとの思いで取材させていただきました。
公開 2021/11/12(最終更新 2023/12/26)

明里
女子大生。レトロな商店街や遊廓史などに興味があり、千葉県を中心に日々各地を探索しています。ブログ「Deepランド」で地域の小さな歴史や建物などを紹介中。https://deepland.blog/
記事一覧へ金物屋マツヤと宿場町だった検見川の歴史
「金物屋マツヤ」は創業明治26(1893)年。京成千葉線「検見川駅」から徒歩3分ほど、千葉市花見川区検見川町1丁目の房総往還沿いで130年近く、変わらずに営業しています。金物屋とは金物製品や工具用品を取り扱う店のことで、金物屋マツヤには、家庭用品からペンキやネジなどの幅広い工具用品が並んでいます。
現在の店主は4代目の鈴木卓さん。5代目の鈴木尚さんも本業の傍ら金物店を手伝い、親子二人三脚で営業中です。
金物屋マツヤは、明治時代に創業する以前は、なんと旅館だったそうです。金物屋の話に入る前に、検見川町の歴史から紐解きます。
江戸・明治期に最盛期を迎えた検見川町。船橋市と館山市を結ぶ房総往還沿いの宿場町として栄えたため、街道沿いには旅館が建ち並んでいました。現在も、1丁目から上宿、中宿、下宿など宿場町の面影が残っています。金物屋マツヤも、かつては旅人を受け入れる旅館の一つだったわけです。

宿場町であることから、商店街には犢橋村の方面からもお客さんが買い物に訪れ、毎月3回ほど市も開催されていました。江戸時代から宿場町として栄え、商店街も賑わいを見せる中で、金物屋マツヤも材木と金物を扱い始め、「町の金物屋」として発展。

現在は埋め立てられて存在しませんが、検見川には小さな漁港もありました。近隣の幕張や稲毛は、潮干狩りなどで関東近郊から観光に訪れる人も多かったそうですが、検見川は漁師の漁場保護のため、観光には力を入れていませんでした。
「こういう話をすると悔しさとともに話が長くなってしまうんだ…」と、当時の地域産業の環境を考えればやむを得ないと理解しつつも、鉄道の駅を拒否をした歴史が運命を変えることになった検見川の変遷について語ってくださいました。
検見川町に電車が通る計画も…?
明治27(1894)年に総武鉄道(現:総武線)の駅「幕張駅」が開業。しかし、それ以前に駅が検見川町につくられる計画が存在したというのです。
現在の街道沿いにある千葉信用金庫辺りの路地に線路を通して、駅を開設する計画があったと鈴木さんは長老の方から伺ったそうです。しかし、当時の汽車は音と煙が激しく、漁師町だった検見川では「魚介類が音や振動などを感じて逃げ、獲れなくなるのでは」と反対の声が上がりました。
そこで、検見川神社(当時は八坂様と呼ばれていた)の裏側に駅を開設する計画も持ち上がりましたが、「霊験あらたかな八坂様の裏に駅をつくるとは何事だ」と反対の声が上がり計画は頓挫。当初は、津田沼駅の次に検見川駅、千葉駅と続く予定だったそうです。
それほど、検見川町は賑わっていたのですが、鉄道の開通とともにその繁栄に陰りが見えてきました。その後、昭和26年頃に国鉄「新検見川駅」が開通。京成線だけでなく、国鉄の駅の必要性を感じた商店街が誘致した駅でしたが、新検見川駅周辺は大きく栄えるような雰囲気ではありませんでした。
「現在は、検見川の名前も通らない。位置を説明するのに、幕張と稲毛の間であると説明するのが一番悔しい」
江戸時代から明治にかけて栄えたにも関わらず、衰退してしまった背景には漁師町だった検見川の誇りが隠れていました。同じように鉄道を通さずに衰退してしまった事例が、栃木県栃木市、埼玉県行田市などに見られます。
検見川町と商店街の移り変わり
江戸~明治期の面影を残し、検見川町の房総往還沿いに広がる商店街は、昭和40年代くらいまで栄えていました。魚屋、八百屋が2~3軒、肉屋2軒あり、ぞろぞろと買い物客で賑わっていたといいます。
現在は、「やあびなカード」というポイントカードを作成し、地域の人々の商店街での買い物を促進しています。ちなみに、「やあびな」は検見川の方言らしく、「一緒にやろうよ、みんなでおいで」といった意味があるそうです。「やるべえよ」から「やあべえよ」、「やあびな」と現在の言葉に定着したそうですが、検見川に方言があるとは驚きました。
元々漁師町だったため、言葉遣いが荒く、嫁いできたお嫁さんは「怒られている」とびっくりしたそうです。
店主の鈴木さんは、「職人さんとはけんか腰で話すこともあるので、そういう場面を初めてのお客さんに見られて、おっかねえお店だと思われたら困るな」と笑いながら話していました。漁師町の息遣いは現在も残っているのですね。
「町の金物店」の魅力とは?
皆さんの中には、金物店に馴染みがない方も多いのではないでしょうか。
実は、私は今まで金物店に入ったことがありません。ホームセンターが身近な存在だったからです。

そこで、町の金物屋の魅力を伺うと、
「物について説明ができる・お客さんの相談に乗れること」
と鈴木さん。

また、他のお店では欲しい商品の取り扱いがなく、「最後のとりででマツヤさんに来たよ」というお客さんや「こういうお店が近くにあったんだ」と初めて来店するお客さんもいるそうです。
一方で、最近のホームセンターは一般のお客さんだけでなく、プロの職人の集客も目指し、平日の開店時間を早めるなど工夫しているため、品揃えの豊富さなどを比較しても、町の金物屋は難しい状況です。
昔は家庭用品とプロ向けの商品を分けて2店舗営業、美浜区の真砂の商店街にも支店を出すほど賑わっていたそうです。
現在の割合は、プロ向け:一般向けが8:2ほど。小学校の給食室、工業団地の鉄工業者などに商品を配達する仕事がほとんどで、来店するお客さんは少ないそう。
しかし、「ただお客さんが取られてしまうのを眺めているわけにはいかない」と、今から13年前に通信販売を開始。「よほどの急用の場合や、自分で見て購入したいという方、お年寄りのために実店舗も必要だけど、20~30年経てば、多くの人がインターネットで物を買える時代になるはず」と、いち早く楽天市場で販売を始めたところ、他ではあまり取り扱いのない雨どい関係の商品が売れているそうです。
金物屋マツヤを受け継ぐ5代目
5代目として金物屋マツヤを受け継ぐ決意をした鈴木尚さんは現在29歳。平日の午前中は違う場所で働き、午後、マツヤで働いています。

「一番は自分の実家の仕事がなくなってほしくない。また、周辺の商店街が廃れているのを見て、寂しく感じているのもあり、検見川の一員として、自分の家として、お店を受け継ぎたい」と心境を語ってくれました。
現在は家業を継がないという選択をする方も多いですが、「家から学校へ行く時にもいつも通ってきて、見慣れた風景になっているお店を残したい」という強い想いに感銘しました。
「SNSで情報を集める人が多いので、ちょっとしたことでも情報発信したい」とTwitterも活用されています(@mty_ttm)。
金物の販売だけでなく、合鍵の作製、包丁研ぎなども行っており、店内には年季の入った鍵の作製機械も。
「家のことで困ったことがあれば、何かしら答えが出せると思うのでぜひ相談して欲しい」
かつて宿場町として賑わいを見せた検見川町。周辺には漁師町の面影を残す銭湯「梅の湯」もあります。ぜひ検見川の歴史を感じながら、立ち寄ってみてください。
金物屋マツヤ
住所/千葉県千葉市花見川区検見川町1-495
定休日/日曜日
営業時間/7:00~19:00
駐車場/5台
アクセス/京成千葉線「検見川駅」徒歩3分
問い合わせ/ 043-273-2121
ネットショップ/https://store.shopping.yahoo.co.jp/hw-matsuya/