ドラマの舞台になるなど、いま「銭湯」が注目されています。
今も昔も人々を引き付ける「いい風呂」には、心も温めてくれる魅力がいっぱい。
今年の疲れをさっぱり洗い流して、健やかに新年を迎えましょう。
お話を聞いたのは…
公開 2021/11/24(最終更新 2021/12/13)

私が「千葉県銭湯大使」になったきっかけ
銭湯は元々好きでした。地理の教師ですから旅行も好きで、旅先でも温泉か銭湯に足を運んでいました。
千葉県立千葉高等学校勤務時代の2011年、顧問をしていたバレーボール部の校内合宿があり、夜は近くの銭湯を利用することに。
そのとき、ふと「千葉県内に銭湯は何軒あるのかな」と思ったんですね。調べようとしたら、まとまった情報がどこにもない。
たまたま学校の近くに千葉県公衆浴場業生活衛生同業組合の本部があったので直接訪問したところ、手書きのリストしかなくて、しかも情報が古かった。
数年後「じゃあ、自分で調べてみよう」と思い立って、当時のリストにあった全62軒に自作のアンケートを送りました。回収できなかった分などは、自らお風呂に入りに行って何気なくお話を伺ったりして。
そのうちに、個性豊かな銭湯の魅力にどんどんはまって、2021年現在、全国46都道府県(※)を網羅しています。※山形県には現在、銭湯が1軒もないので除外。
2017年、先述の組合の土肥一夫理事長(松戸/平和湯ランド)から「千葉県銭湯大使」のオファーを頂き、ボランティアとして活動を始めました。
肩書を頂けたことで調査が一気にスムーズになり、19年からツイッターで「千葉県銭湯マップ」を公開。随時更新しながら情報を発信しています。
どこのお風呂屋さんも意外と他所のお風呂屋さんのことを知らなくて、「他所はどう?教えてよ」と言われることが多々あります。
情報を発信することも地域貢献になるかと思うので、「銭湯大使」の役割はとてもうれしいです。他に東京、新潟、岐阜などにもいるので、いつか「銭湯大使サミット」を開きたいですね。
公衆衛生を守る、地域に欠かせない存在
「地域と銭湯」の魅力には、さまざまな側面があります。
私の専門の人文地理学の視点から考えますと、かつて新しい町が開かれた時は、まず銭湯ができて、その周りに商店や住宅が広がっていったというエピソードがあります。
家風呂がなかった時代、銭湯は町の公衆衛生を守るために欠かせない存在だったのです。
芸術面でも秀逸な魅力があります。
神社仏閣のような宮造りの建物は、関東大震災の復興祈念で採用されたといわれ、そのため首都圏以外ではあまり見られません。
ペンキ絵にも注目。いずれも手描きなので同じものがなく、個性的で興味深いです。
元々は壁に手書きの広告を掲示していて、その代金として絵を描いたのが始まりといわれています。今や定番の富士山を最初に描いたと言われるのが、東京・神田にあったキカイ湯さん。
また、浴場主に北陸出身者が多かったことから、石川県の見附島も多く描かれています。故郷への思いを伝えるメッセージになっているのですね。
中でも千葉県千葉市花見川区の梅の湯さんは、東日本大震災の被災地・陸前高田の「奇跡の一本松」を毎年描き続けて、東北へエールを送り続けています。
そんな銭湯が千葉にあるのは、県民としてとても誇らしく思います。
心もぽかぽかになるサードプレイス
銭湯には災害時の拠点としての役割もあります。
2019年の台風15号・19号の時には、千葉市内の銭湯が被災者に無料開放されました。
銭湯は地下水をくみ上げて利用しているところが多く、水道が断水しても使えます。温かい湯船に漬かると心の緊張もほぐれますよね。
銭湯の経営はどこもとても厳しいと聞いているので、地域防災のための「公共的な役割の大きい施設」として、行政の支援を願いたいところ。
どの町にも「湯冷めしない距離」に銭湯があるのが理想的だと思います。
地下水を利用しているので、地域ごとにお湯のまろやかさや肌当たりも異なります。その視点から考えても銭湯は大切な地域資源。
公衆衛生を保ち、コミュニティーの核となり、高齢者や子どもの見守りの場でもあります。
東京都では後継者の育成にも力を入れているとか。「銭湯大使」が、「跡取りがいない」経営者と「銭湯を継ぎたい」若者とのつなぎ役になれたらうれしいです。

銭湯は第3の居場所(サードプレイス)という考え方ができると思います。年代問わず、居心地良くリラックスして過ごせる場所です。
ドラマなどで銭湯が舞台になったり、とてもおしゃれにリノベーションされて若い人に注目されたり、イベントスペースに活用されたりと、昔も今も銭湯は人を引き付ける存在です。
ほとんどの住宅に家風呂がある時代ですが、あの開放感、大きな湯船がもたらす血行促進効果、心も温かくなるコミュニケーションを求めて、「今日はちょっと銭湯に行こうかな」と楽しんでみては。
心もぽかぽかになりますよ。
銭湯大使も注目!【千葉市花見川区】梅の湯

梅の湯は100年続く老舗の銭湯です。
筑波系の良質な軟水として知られる井戸水をくみ上げ、薪を窯にくべてお湯を炊き、入浴料は番台に手渡し。100年前から今も変わらないスタイルで、多くの人に親しまれています。
2011年の東日本大震災後しばらく、「一人で家にいるのが怖い」と銭湯に人々が集まるようになったそうです。当時、断水や飲料水不足が騒がれていましたが、梅の湯では井戸水を使っていて、さらにろ過器で磨いているので飲料も可能。
地域の人たちの救いになりました。
そんな経験もあって、「東北の人たちを励ましたい。できることはないだろうか」と考えた経営者の長沼 二三六(ふみろく)さん。
「被災された方々と話をすると、いつも決まって最後に言われる言葉は『忘れないで』でした。銭湯のペンキ絵として描いておけば、いつも思い出すことができるのでは」と考え、銭湯絵師の丸山清人さんを招いて依頼。丸山さんも快諾してくれたそうです。
震災の年の6月、男湯に宮城県松島が、同年11月に女湯に「一本松」が描かれました。
以来、毎年、丸山絵師の手によって東北の被災地の風景や、熊本地震の翌年の2017年には阿蘇山など、人々を励ますペンキ絵を描き続けてきました。
11年目を迎えた今年も、「まだ復興は終わっていない、あの日のことも風化させてはいけない。東北にエールを送り続けたい」と継続に。
今年は、女性銭湯絵師の田中みずきさんが担当し、男湯に「一本松」、女湯には幸福を招く橋といわれる宮城県松島の「福浦橋」が描かれました。
「丸山さんの絵は一本松の力強さが表現されていて、田中さんの絵は全体的に明るさがあって、コロナで鬱々とした気持ちを軽くしてくれるような印象ですね」と長沼さん。入浴客の評判も上々だそうです。
女湯には宮城県松島の「福浦橋」が描かれている
長沼さんは言います。
「ここに来てお風呂に入ってこの絵を見て、涙を流しながら『ありがとう』とお礼を言い帰っていく人たちがいます。
お金だけが支援じゃない。
こうして毎年描くことで、人々が東北や一本松のことを口にします。それで『今どうなっているのかな』と気にして、ネットで調べたりするでしょう。
『忘れないこと』も大切な応援なんです。
このことで、私たちも多くの素敵な出会いをいただきました。やってよかったと思います」
