24年ぶりに夏の甲子園出場を果たした拓殖大学紅陵高校野球部。佐賀商業高校に1-0で勝利し、続く仙台育英高校戦では、最後まで粘りを見せましたが6-3で惜しくも敗れました。千葉県代表として戦い抜いた選手たちの姿に、胸を熱くした人も多かったのではないでしょうか。甲子園大会を終え、1、2年生による新チームで次の目標に向け汗を流す拓大紅陵野球部を取材。甲子園までの道のりと、この夏を振り返ってもらいました。

公開 2026/10/07(最終更新 2026/10/05)
花
48歳で普通自動二輪免許を取得したへっぽこアラフィフ主婦ライダー。千葉は魅力的なライディングスポットがたくさん!取材と称してソロツーを楽しんでいます。【ブログ】https://ameblo.jp/ohana-hann/
記事一覧へ「あと一歩」を超えるために。選手たちが取り組んだ環境整備
取材に向かった拓大紅陵野球部のグラウンド。
迎えてくれたのは、ほうきを手にした部員たちの礼儀正しいあいさつでした。
拓大紅陵が甲子園に初出場したのは、1984年の春のセンバツ。
これまで春のセンバツに4回、夏は今回を含め6回出場しています。
しかし2005年は銚子商、2009年は八千代東に決勝で逆転され敗退。
2002年を最後に夏の甲子園からは遠ざかり、あと一歩のところで甲子園への切符を逃してきました。
―実力なら負けない。それなのに勝ちきれないのはなぜか―
今年度のチーム結成時、部員たちは「自分たちに足りないもの」に向き合います。
そして出した答えが、練習前の草取りや身の回りの掃除を徹底し、生活面を整える「環境整備」でした。
環境整備の効果はあったのでしょうか。今年の主将を務めた加治征樹選手に尋ねると「ありました」と即答しました。
「最初は実感がありませんでした。ですが、一つ一つを継続した経験が、厳しい場面での忍耐力になっていました」(加治選手)
環境整備で育まれた心の成長。それが今大会で見せた粘り強い戦いを支えたのかもしれません。
主将・加治征樹選手が見た甲子園の景色
主将としてチームを率いた加治選手に話をうかがいました。
―甲子園出場を果たした気持ちを教えてください
「自分たちがやってきたことを出せた結果、甲子園に出場することができました。甲子園では、元気よく楽しむことができました。ですが緊張で上がってしまい、プレーが雑になってしまった部分もありました。後輩たちには自分たちを超えて活躍してほしいです」
―主将として気を付けていたことは
「自分は言葉で指示を出すのが苦手なので、行動する姿を見せるようにしていました。後輩たちにいい背中を見せたかったので、野球以外の生活面も気を付けていました」

―8月13日の千葉の大雨の影響で、応援に来られなくなった方も多かったそうですね
「家が千葉市にあるので心配でしたが、幸い被害はありませんでした。大変な時でも応援に来てくれた人がいたこと、試合ができることに感謝しました」
―グラウンドから、アルプスの応援は見えるのですか?
「はっきり見えます。声も届いていましたし、立ち上がって応援してくれている人の姿も見えました。応援は本当に力になりました」
―今後の目標と後輩たちに一言お願いします
「大学へ進学し、今後も野球を続けます。在学中は後輩たちに自分たちが学んできたことをしっかり伝えていきます」
父・兄・弟へ。4番・片岡拓月選手と甲子園
千葉県大会決勝、専修大学松戸高校を相手に、9回に劇的な逆転3ランホームランを放った4番打者、片岡拓月(たつき)選手にも話をうかがいました。
―片岡選手のお父さん(将義さん)は、2002年出場時の4番打者だったとか
「はい。小さい頃から何度も動画を見せられてきました(笑)。野球は当たり前のように始めていました。4人兄弟で、兄(陸斗さん)も常総学院で甲子園に出場しています」
今回、弟の颯太選手もチームメイトとして甲子園に出場。中学3年生の弟も野球を続けているそうです。
―拓大紅陵に進学したのはお父さんの影響ですか
「はい。自分は中学時代、選手としての実力が足りませんでした。拓大紅陵に入学できた時は嬉しかったです。父からは入ったからには努力するように言われました」

―お父さんを超えましたね
「いえ、父は『とっくに俺を超えたよ』と言ってくれましたが、自分はようやく父に並んだと思っています」
―今後の目標を教えてください
「大学に進学して野球を続けます。拓大紅陵で学んだプレースタイルを忘れず続けていきたいと思います」

受け継がれる「紅陵魂」。坂巻監督に聞く
坂巻展行監督もまた、拓大紅陵で選手として甲子園を経験し、指導者として野球部の歴史を受け継いできた一人です。
1982年、坂巻監督は拓大紅陵の監督に就任した小枝守監督を慕い、同校へ入学。
1984年春のセンバツでは主将として、チーム初の甲子園出場を経験しました。
高校卒業後は日本大学へ進学。
1989年からは教諭として拓大紅陵に戻り、コーチ、副部長、部長として小枝監督と野球部を支え、2024年に監督に就任しました。
―24年ぶりに夏の甲子園出場を果たしました。今の気持ちをお聞かせください
「為せば成る。その感想が第一です。23年間、あと一歩のところで何度も涙をのんできました。専大松戸は、甲子園でも優勝できるチームだと思っています。決勝戦の前日、生徒たちには『もう甲子園に行けた気持ちになってはダメだ』と伝えました。決勝戦では初回で1点をとられましたが、生徒たちは最後までしのいで最後にひっくり返すことができました」
―出場できた理由を振り返ってみて、これまでと違った取り組みはあったのでしょうか
「これまでも力はあるはずなのに勝てなかった。その理由を考え、精神を育てるため環境整備などをきちんとやろう、と取り組みました。練習では『大会と同じ気持ちでやりなさい』と伝えてきました。生徒たちも先輩たちの思いを感じて大変だったと思います。よく頑張りました」

今大会では仙台育英との試合が、雨により37分間中断。阪神園芸が内野に防水用のビニールシートを敷く一幕も。
―雨に見舞われることが多かった今大会でした
「阪神園芸の見事な仕事を目の前で見られたのは良かったです。なかなか見られない光景ですから。選手たちも盛り上がっていました」
―中断している時、選手たちはどんな気持ちで再開を待っているんでしょうか?集中力などは切れたりしないのでしょうか
「室内練習場で体を動かしながら待っていました。待機中はリラックスして、試合再開時にスイッチが入るように声掛けしましたね」
県大会の優勝インタビューでは、坂巻監督が「小枝先生が背中を押してくれました」と、2019年に逝去された小枝元監督への思いを語る場面もありました。

―坂巻監督の指導には小枝元監督の影響などもあるのでしょうか。思い出などをお聞かせください
「大いにあります。小枝元監督は人間味のある方でした。社会科の先生だったので、遠征先ではその土地の歴史や名勝などを教えてくれました。私が高校に入学したとき、拓大紅陵には寮がなかったんです。社宅に9人、監督のご自宅に4人下宿していました。みんなで監督の家にお邪魔して、奥様の手料理をごちそうになったり、一緒に風呂に入ったりもしたんですよ。中学校を卒業して地方から出て来たみんなの、親代わりのような存在でした。小枝元監督ご夫婦には、足を向けて寝られません」

最後に、坂巻監督にこれからの目標と、生徒たちへの思いを語ってもらいました。
「チームとしての目標は勝つことですが、それ以上に地域の人や高校野球ファンに応援されるようなチームになってほしい。そのためにはマナーや、スピーディーな試合などを心がけ、ほめてもらえるようにしたいですね。本当は全ての選手を試合に出してあげたい。生徒たちが『紅陵で学んでよかった』と思えるような経験をさせてあげたいです。社会人になった時、野球に限らず得意なことを発揮できる人材になってほしいです。この夏は生徒たちにとって、忘れられない人生の1ページになったのではないでしょうか。今年は幸い千葉県の頂点に立つことができました。おごることなく次を目指し、1つ1つ歩んでいきたいと思います」
