千葉県我孫子市船戸の閑静な住宅地に、文豪・武者小路実篤が暮らした邸宅の跡地があります。実篤が住んでいた建物は現存していませんが、昭和中期に建てられた近代数寄屋建築と、豊かな緑に囲まれた庭園が残されています。通常は非公開ですが、4月~11月の毎月第2・第4土曜日に一般公開。和モダンな建築と庭園を巡りながら、実篤をはじめとする白樺派の文人たちが我孫子で過ごした日々に、思いをはせてみませんか。
公開 2026/09/05(最終更新 2026/09/01)
野中真規子
人・土地・物語をつなぐ 文化プロデューサー/編集者 イベントやメディアなどのプロデュース、ディレクション、制作を行い、これまで1,500人以上の「豊かで楽しく生きる人」に取材。自己探究の過程で見えてきた、暮らしや意識が変わる瞬間について発信中。https://www.instagram.com/teganumakki/
記事一覧へ白樺派の文人たちが集った我孫子
手賀沼のほとりに位置する我孫子は、近代以降、その風光明媚な環境にひかれた文化人や実業家が邸宅や別荘を構え、「北の鎌倉」とも呼ばれました。
大正時代には、雑誌『白樺』を中心に活動した作家や芸術家たちが暮らすようになります。
小説家の志賀直哉、民藝運動を起こした柳宗悦、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチ、そして武者小路実篤。
彼らはたびたび互いの住まいを訪ね、芸術や文学について語り合いながら、創作活動に励んでいました。
JR我孫子駅南口の駅前には、「我孫子市ゆかりの文化人」を紹介する案内板があります。
その中央に掲げられているのが武者小路実篤邸の庭の写真。
実篤、柳宗悦、志賀直哉らが並んで写っています。
現在も市内には、志賀直哉邸跡、柳宗悦邸跡、武者小路実篤邸跡などが残り、我孫子が文化人たちの交流拠点だったことを伝えています。

肺結核を疑い、空気のよい我孫子へ
武者小路実篤は、小説家、劇作家、詩人、画家として、大正から昭和にかけて幅広く活躍した人物です。
実篤が我孫子に移り住んだのは、1916年(大正5年)。当時31歳でした。
当時は不治の病ともいわれた肺結核に、自分もかかったのではないかと考えていた実篤は、空気のよい土地への転居を検討していました。
そこで、志賀直哉が暮らしていた我孫子を訪れます。
手賀沼と松林に囲まれた環境を気に入った実篤は、志賀が所有していた船戸の土地に新居を建てました。


実篤と志賀は学習院時代からの友人でした。
我孫子では柳宗悦らも加わり、ほぼ毎日のように顔を合わせていたといいます。
実篤の自伝的小説『或る男』には、我孫子での暮らしについて、朝の仕事を終えると決まって柳や志賀の家へ出かけ、昼食や夕食を共にしたことが描かれています。
当時、彼らはそれぞれ小舟を所有し、手賀沼の湖上を船で行き来していたとも伝えられていて、現在の道路を往来するのとは異なる、手賀沼湖畔ならではの交流風景をイメージすると、胸がときめきます。
実篤が我孫子で暮らしたのは、1916年から1918年までの約2年間です。
この地で『日本武尊』『AとB』などを執筆し、志賀直哉や柳宗悦のほか、岸田劉生、梅原龍三郎、長与善郎ら、多くの文化人との交流を深めました。
その後、実篤は自らが提唱した共同体「新しき村」を創設するため、宮崎県日向地方へ移ります。
1919年(大正8年)には我孫子の土地と建物が売却されました。
当時、まだ我孫子に住んでいた志賀直哉の手紙からも、実篤の家が売れたことが確認されています。
わずか2年間ではありましたが、自然に囲まれ、仲間たちと頻繁に行き来した我孫子での日々は、実篤の創作や思想に少なからず影響を与えたことでしょう。
昭和モダンを感じる近代数寄屋建築
現在の主屋は、実篤が宮崎県へ転居し、土地の所有者が変わった後の1953年(昭和28年)ごろに建て替えられたものです。
そのため、実篤が実際に暮らした建物ではありません。
それでも、端正な和室や庭に向かって開かれた造りには、昭和中期の近代数寄屋建築ならではの美しさがあります。

建物は、伝統的な日本建築の意匠を取り入れながら、近代的な感覚で構成された数寄屋風の建築です。
中へ足を踏み入れると、所有者が収集した美術品の数々が迎えてくれます。
庭に面して大きく開かれた和室には、自然光がふんだんに差し込みます。
室内と庭がゆるやかにつながる、開放感あふれる空間が広がっています。

手賀沼を望む台地の縁にあるため風通しがよく、夏の日でも室内には涼やかな空気が流れます。
特に一番奥の部屋は、格式の高さとモダンな雰囲気を兼ね備えた空間。
障壁画や床の間など、一つ一つの意匠を眺めていると、昭和中期の美しい和風建築に招かれたような気分になります。

自然の地形を生かした回遊式庭園
庭園も実篤が暮らした当時の姿をそのまま残しているわけではありません。
それでも、昭和のモダンな和風建築と自然の地形を生かした庭園が一体となった景観は、大きな見どころです。

コナラ、クヌギ、シラカシなどの広葉樹が茂る庭を歩いていると、周辺の住宅地にいることを忘れてしまいそう。
建物の前には芝生を中心とした庭が広がり、その先には傾斜地の雑木林が続きます。
敷地の周囲に広がる緑は「船戸の森」と呼ばれ、根戸船戸緑地として我孫子市の特別緑地保全地区に指定されています。
高低差のある土地や斜面林、湧水など、手賀沼周辺特有の自然環境を感じられる場所です。
かつては庭から手賀沼を望むことができました。
1953年ごろに撮影された「武者小路実篤邸跡の庭から見た雪の手賀沼」という写真も残されています。

現在は木々が成長したため、庭から沼を直接見ることはできません。
それでも、庭の先に手賀沼があることを想像しながら歩けば、大正時代の景色が心の中に浮かんでくるようです。

手賀沼への思いを、邸宅とワインに託して
現在、旧武者小路実篤邸跡を所有しているのは、三協フロンテア株式会社の創業者である長妻和男さんです。
市民団体「我孫子の景観を育てる会」も案内や景観維持に協力しています。
長妻さんは近くの北柏で育ち、少年時代には手賀沼で泳いでいたといいます。
庭園の中では、大きく枝を広げる泰山木がお気に入りなのだそうです。
さらに、実篤がかつて愛した山荘の麓に広がる畑で育てたブドウを使ってのワインづくりも手がけています。
「白樺ワイン」は、白樺派の文人たちが理想とした、健康でみずみずしい生命の美しさを表現した一本で、邸宅跡では試飲・販売会が開かれることもあります。
手賀沼のほとりで過ごした少年時代の記憶、庭の木々への愛着、そして実篤ゆかりの土地から生まれたワイン。
それらは、この場所の歴史や自然を次の世代へ伝えていこうとする長妻さんの思いにもつながっているように感じられました。

武者小路実篤邸跡
住所/千葉県我孫子市船戸2-21-9
公開期間/4月〜11月 毎月 第2・第4土曜日 10:00〜15:00
料金/無料・事前予約不要・雨天時は公開中止
駐車場/なし
アクセス/JR我孫子駅南口より 徒歩約28分
問い合わせ
電話番号/04-7133-6666(平日9:00~17:00)
三協フロンテア株式会社
※飲食・ペット同伴不可。(清涼飲料水は可)
ホームページ/https://www.abikoinfo.jp/former-residence-of-saneatsu-mushanokoji/