地域新聞社は今年もエッセイコンテストを開催しました。
2026年 第18回一般部門の募集テーマは「大逆転」。5月~7月に募集を行い、164作品の応募をいただきました。
その中から、最優秀賞、優秀賞に選ばれた3作品を紹介します。
たくさんのご応募、誠にありがとうございました!
公開 2026/09/09(最終更新 2026/09/07)
目次
最優秀賞「暗闇のその先へ」
千葉県千葉市美浜区 柴﨑 麻央さん
まだ、死にたくない―。
目が覚めると、ICUに横になっていた。しかし、猛烈な頭痛と共に、意識は遠のいていった。
十六歳の春。トラックにはねられ救急搬送された。頭蓋骨骨折、前頭葉損傷。もう、死ぬかもしれない。初めて、そう思った。
なんで、私が―。
学校に行きたい。元の生活に戻りたい。私はどうなるのか。不安で押しつぶされた。
そんな、私が―。
ある日、父が一冊の本をくれた。希望を捨てずに生きようとする患者の強さや、それを支える温かい地域医療の姿が描かれていた。これだ。心が動いた。私も地域医療で命を支える人になりたい。あきらめちゃいけない。リハビリを全力で取り組み、学校へ行けない分、消灯後のベッドの小さな灯をつけ勉強した。だが、もともと勉強が苦手な上に、後遺症があるかもしれない頭で勉強したところで私には無理かもしれない。くじけることもあった。だが、たとえ失敗しても努力した事実は自信をくれるはずだ。そう信じて、歯をくいしばりながら、全力でやり遂げた。
その結果。大学に合格、看護師、保健師、ケアマネジャーの資格を取り、夢だった地域医療に従事できた。十六歳の私が描いた姿にはなり切れていないが、夢を追いながらここまでくることができた。一つ一つの努力が自信となった。今でも、思い通りにいかず挫けたり、生きることが辛くなることもある。だけど、少しでも、誰かのために何かをしたい、そう思えれば暗闇に光が射すと信じている。
当時の私は、事故のせいで人生の歯車が狂ったと思っていた。しかし、今では生きる意味を見つけ夢に向かって前進している自分がいる。これからも、何度でも立ち上がっていきたい。立ち止まったり、遠回りしても。あのとき目指した理想の自分に近づけるよう、もがきながら生きていこう。
優秀賞「『たいへんよくできました』が欲しくて」
千葉県柏市 田島 広美さん
先日実家へ帰省した時、母から一冊のかきかた帳を渡された。忘れもしない、六十年前の私のかきかた帳である。
私はもともと左利きだった。しかし小学校へ入学すると、字を書くのは右手でと指導された。当時、左利きを右利きに直すことは当たり前の時代である。慣れない右手で鉛筆を握り、思うように字が書けない、そんな中で書いたのが、このかきかた帳である。
ページを繰るたび、どのページにも「よくできました」と「ふつうです」の判子ばかり。隣の席の友だちのかきかた帳には「たいへんよくできました」が並んでいる。どうして私のかきかた帳には一つもないんだろう。子供心にそれがたまらなく悔しかった。私はあの判子が欲しかった。私はその判子をもらいたい一心で新聞広告の裏にあいうえお、かきくけこ…を何度も書いた。余白がなくなるまで書いた。結局一度も「たいへんよくできました」ともらうことなく小学校を卒業した。
中学生になったある日、先生から職員室へ来るように言われた。怒られるような心当たりはないものの、不安な気持ちで職員室の扉を開けた。ところが先生の話は叱責ではなく、「硬筆の県大会に提出する作品を書いてみないか」というものだった。
小学生の頃一度も「たいへんよくできました」ともらえなかった私が、まさか字を書くことで選ばれる日が来るとは思ってもみなかった。そして結果は特選だ、しかも中学三年間ずっと特選を頂いた。
今あらためてかきかた帳を眺める。一度ももらうことのなかった「たいへんよくできました」、けれどその一つの判子が欲しくて一生懸命練習した当時の自分の姿が懐かしく思い出される。私にとって大切なのは、その語に頂いた特選よりも、あの頃の一途な思いなのかもしれない。
優秀賞「四十五歳。もう遅いのかもしれない。」
千葉県印西市 新松 秀朗さん
二十六年間勤めた警備会社を退職した帰り道、私は駅のホームで立ち尽くしていた。交通誘導をしていたが、誰からも認められていない気がして心身ともに疲弊しきっていた。長年着慣れた制服を脱ぎ、新しい人生へ踏み出すはずなのに、胸にあったのは期待ではなく不安だった。
幸い、警備会社にいた経験を買われ、新しい会社への入社が決まった。しかし、待っていたのは想像以上に厳しい現実だった。
任された仕事は、防犯カメラの設定やネットワーク機器の管理、パソコンを使った事務作業。これまで経験したことのない業務ばかりで、専門用語さえ理解できない。周りは当たり前のように仕事を進めていくのに、自分だけが立ち止まっているような気がした。
「転職は失敗だったのではないか。」
それでも、諦める理由にはしたくなかった。分からないことは何度でも質問し、資料を読み返し、休日には猛勉強をした。昨日できなかったことを今日一つできるようにする。その積み重ねだけを信じて前へ進み続けた。
ある日、上司から「安心して任せられるようになったね。」と言われた。その一言を聞いた瞬間、胸が熱くなった。自分では気づかなかったが、確かに昨日までの自分を超えていたのだ。
私は、この経験を通して気づいた。
大逆転とは、一瞬で人生が変わる奇跡ではない。苦しい時も諦めず、小さな努力を積み重ねた先に訪れる結果なのだ。
退職したあの日、私は人生の終わりだと思っていた。しかし今振り返れば、あの日は終わりではなく、新しい人生の始まりだった。
人生は年齢で決まるものではない。挑戦する勇気で決まる。
四十五歳で踏み出した一歩は、私に「人生は何度でもやり直せる」という確かな自信を与えてくれた。
私の大逆転は、まだ途中である。今日も学び続ける。昨日の自分を少しだけ超えるために。そして、これから先の人生を、自分自身の力でさらに大きく逆転させていきたい。