2006年ドイツ、10年南アフリカと2大会連続でワールドカップ(W杯)に出場した元サッカー日本代表の玉田圭司さん。世界がW杯に沸くこの夏、習志野高校出身のレフティー(左足の名手)がサッカーへの思いを語ってくれました。

習志野高校から、世界の舞台へ 元サッカー日本代表・名古屋グランパスコーチ 玉田圭司さん
(c)N.G.E.
元サッカー日本代表・名古屋グランパスコーチ 玉田圭司さん
1980年生まれ。浦安市出身。1999年柏レイソルに入団。2006年名古屋グランパスへ移籍すると、2010年にはクラブ史上初のJ1リーグ優勝に大きく貢献する。2021年に現役引退。

公開 2026/07/28(最終更新 2026/07/21)

ちいき新聞ライター

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負けん気と根拠なき自信

市立習志野高校を選んだ理由は「中学時代に入っていたクラブチームからの紹介があり、楽しいサッカーをする所だったから。部活の後はおなかがすいて駅前のコンビニで菓子パンを頬張ったことも。とにかくサッカー漬けの高校時代でした」と笑います。

3年生の千葉大会決勝では強豪・市立船橋高校から決勝ゴールを決め、全国大会出場を果たしました。

「3年間で初めて市船に勝てて、うれしかった」。

一方で「勝って一気に優勝候補になり、浮かれてしまって1回戦で負けてしまった」と正直に振り返ります。

習志野高校から、世界の舞台へ 元サッカー日本代表・名古屋グランパスコーチ 玉田圭司さん
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高校時代、年代別代表には一度も呼ばれず「まったく目立たない選手だった」という玉田さん。

それでも世界へたどり着けた理由は「負けん気の強さ」があったから。

子どもの頃から5歳上の兄弟や他の人にも負けたくなくて、いつも全力で向かっていくタイプでした。さらに「自分にはできる」という、根拠のない自信もあったと言います。

楽しむ心は、今も変わらず

26歳で初めてW杯の舞台に立ち、06年ドイツ大会では強豪ブラジルから先制ゴールを奪取。

W杯という重圧がかかる世界の舞台でも「楽しむ」気持ちは変わらなかったそう。

「『絶対に点を取るぞ』と気合を入れている時ほど、うまくいかない。『楽しむぞ』くらいがちょうどいいんです。試合前はミスチルやリップスライム、ビートルズ、オアシスなどを聴いて心を整えていました」

21年に引退すると、埼玉県の昌平高校の監督として夏のインターハイで日本一に。

25年からは名古屋グランパスで指導に当たっています。

習志野高校から、世界の舞台へ 元サッカー日本代表・名古屋グランパスコーチ 玉田圭司さん

「プロサッカーは見てくれる人がいてこそ成り立つもの。圧倒的な点差で勝負がつくよりも、打ち合って点が入る4対3などのハラハラする試合の方が見ている人も楽しいだろうし、何番目のゴールが良かった!など、サッカーファンになってくれる要素があると思う」。

学生の頃は自分が楽しむサッカー、プロになり、そしてコーチとなった今は、ファンを楽しませるサッカー。

習志野で出会った「楽しいサッカー」は、形を変えて玉田さんの真ん中にあります。

子どもたちへエール

夢をかなえて、今もなおサッカーへの情熱を持ち続ける玉田さん。

子どもたちに、こんなメッセージを送ります。

「何事も『自分には無理』と決めつけず、昨日より今日、今日より明日と少しずつ殻を破っていけばいい。そして何かに興味を持ったら、まず実際に体験してみて。楽しいなら続ければいいし、合わなければ、また次を試せばいいんです」。

自分の興味を押さえ込まず、一歩を踏み出してみる。

その姿勢こそが、世界への扉を開くのかもしれません。

(取材・執筆/ムーヴ)

名古屋グランパス
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